水産庁によると、漁業に従事している女性の割合は約14%。船を操って、多種多様な魚を水揚げする彼女たちの目標とは?(全4回の1回目/#2#3#4に続く)

撮影 深野未季

県庁職員から漁師の道へ

 岩手県花巻市の大迫町という山しかないところで育ちました。公務員を目指して、山形大学の法経政策学科に進学。東日本大震災が起きたのは1年生の時でした。岩手県庁に就職し、初任地の大船渡で初めて海と出合ったんです。地域振興や復興支援に携わるうちに、漁師さんにどっぷり浸かってしまって。週末にホタテの養殖や漁を手伝うようになり、価値観がガラッと変わりました。単純に魚を獲って、売って、お金にすることにやり甲斐を感じたのが一番かな。県庁を4年で辞めて、三陸町綾里の水産会社に就職したんです。

「昌福丸」に乗船する熊谷典子さん(岩手・大船渡)

 最初はベテラン漁師の小さな漁船に同乗し、タコかご漁や刺し網漁を学びました。翌年には1人で船を出して、主にアナゴ漁を。綾里でアナゴ漁をする人はほぼいなくなっていたんですが、工夫次第で獲れ高は大きく変わるんだなって。他にも19トンの船で沖に出て4、5泊し、フカヒレが取れるモウカザメ漁やサンマ漁を経験させてもらったりも。お風呂に入れないのは辛かった(笑)。

 漁師の男性と結婚したのを機に退職して、夫と2人で船に乗っています。今は育休中ですが、夫婦で勉強に余念がありません。水温が上昇したせいか、魚種が変わってきたので、南の魚の獲り方を研究し、海の変化についていくのが一番の課題です。