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街に出るたびにスカウトされた青春時代

 髪型からしても一つに固定されず、俳優・菅田将暉のパブリックイメージはじつに多彩である。いまさら筆者が言うまでもなく、演じる役柄の幅広さには定評があり、「カメレオン俳優」などと称されたりもする。もっとも、菅田は最初から俳優志望だったわけではない。

 デビューのきっかけは地元・大阪の高校在学中、芸能雑誌『JUNON』の主催するジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募したことである。そのころ、それまで続けてきたサッカーがケガをしてできなくなり、色々やっていた習い事もやめて、何もやることがなくなっていた。また、それ以前から街に出るたびスカウトされていて少し自信があったこともあり、「じゃあ応募してみよう」というぐらいの軽い気持ちで応募したらしい。

©文藝春秋

16歳で抜擢された『仮面ライダーW』

 コンテストには最終審査まで残り、受賞こそしなかったものの、半年後には上京して芸能事務所に所属していた。そこでマネージャーと一緒に各方面へ挨拶に回るなか、銀座の東映本社を訪ねると、ちょうど『仮面ライダー』の新シリーズのオーディションが行われており、飛び入りで参加したところ、思いがけず合格してしまう。あまりにもとんとん拍子に決まったので、《僕、『仮面ライダー』が決まった瞬間、詐欺だと思いましたからね。現実味がなさすぎて》とのちに振り返っている(『CUT』2018年3月号)。

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 こうして16歳だった2009年、『仮面ライダーW』で主役の一人として俳優デビューを果たした。演技が楽しいと思えるようになったのは、その劇場版『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』の撮影中、初めて泣きの芝居をしたときだという。

 本番に入って2回目のテイクで監督からOKが出たものの、涙が出なかったこともあり、個人的に納得ができず、もう1回やらせてもらう。すると、わんわん泣いてしまい、カメラが止まってからも涙が止まらなかった。彼はこのとき、「お芝居をするってこういうことなのかな」とちょっとわかったような気がした。それと同時に、演技とは台本の文字だけがすべてではなく、そこに血を通わせて人間像とか感情といったものを自分がつくっていいのだと、自由になった感じも覚えたという。

『仮面ライダーW』(仮面ライダー公式サイトより)

俳優人生の転機となった映画

 もっとも、デビュー当初のマネージャーは、菅田をアイドルっぽく売りたかったらしい。本人はそれに違和感を抱きつつも、そういうものだと思っていた。しかし、そのうちにこのままでいいのかと思い始める。それは19歳ぐらいのときだった。ちょうどそんな時期、映画『共喰い』(2013年)の主演に抜擢される。

 芥川賞を受賞した田中慎弥の同名小説が原作のこの映画で、菅田は、自堕落な父親を嫌悪しながらも、その血が自分に流れることに苛まれる青年を演じることになった。このとき彼は、キラキラとしたステージから一度外れ、それまで積み重ねたものもゼロにして過去の自分と決別する心持ちで撮影にのぞんだという。