栗城さんがメディアやスポンサー、講演会の聴衆に「単独無酸素」という言葉を流布できたのは、このような登山界の曖昧さにも一因があったように思う。
登山専門誌『山と渓谷』が、栗城さんについて『「単独・無酸素」を強調するが、実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う』とはっきりと批判的に書くのは、2012年になってからだ。
なかったはずのザイルが
栗城さんが9月9日、標高6400メートルのABCから7000メートルのC1を目指して登る映像を、私は編集用のテープにダビングしながら見つめていた。
栗城さんは登るのに苦労しているようだった。
その様子をABCから望遠鏡で見つめていたのが、副隊長として同行した森下亮太郎さんだった。
「下から見ると懸垂氷河(岩壁にへばりつくように形成された、脆くて崩れやすい氷河)があって、大丈夫かなあ、かなり危ないぞ、って心配しながら見てたんですけど、そこはどうにか自力で登りました」
しかし栗城さんはC1には届かず、標高6750メートル地点に荷物をデポ(体力的な負荷を軽減するため、荷物をルート途中に置いておくこと)してABCに下りてきた。ABCを担当するカメラマンがその姿を撮っている。
私が《オヤ?》と思ったのは、その後に収録されたカットだった。
大きなリュックを背負った2人のシェルパが、山を上がっていく姿が記録されていたのだ。
次のカットは、その2人が下山する場面だった。かなり時間が飛んだようで、上がったときとは空の明るさが全然違う。通訳が出てきて、2人と何か言葉を交わしていた。
私は、この映像の意味するものがさっぱりわからなかった。しかし、しばらくして謎は氷解した。
登山のその後の映像に、真新しいザイルが映っていたからだ。
『単独』ではないことを認める
《シェルパが登ったのはこのためだったのか……》
この年、チベット側のABCに他の登山隊はいなかった。ザイルはあの2人のシェルパが張ったとしか考えられない。栗城隊長が登りやすいように。
他人に張らせたザイルを使って登る……これは明らかに「単独」登山を逸脱しているはずだ。
2019年1月、私は森下さんに9年ぶりに会うことができた。森下さんはこのときの「工作」について話してくれた。
「あのザイルは本来、撮影隊のために張ったんですよ」
ABCからは尾根が邪魔をして、ルート全体は見渡せない。追えるのは標高7000メートルのC1までだ。C1は「ノースコル(コルは鞍部。稜線上にある馬の鞍のように窪んだ場所)」にあった。当初からこのC1まで撮影隊が上がって、その先の栗城さんの登山をカメラに収める計画だったという。
「でも実際、栗城も2回目からはそのザイルを使って登っていますから。『単独』ではないですよ」