「夢の共有」というキャッチコピーを掲げて登山の様子を動画配信するなど、従来の登山家のイメージには収まらない型破りな活動を続け、話題を呼んだ栗城史多氏。その一方で同氏の活動にはさまざまな毀誉褒貶がついて回った。
はたして、彼の素顔はどのようなものだったのだろう。テレビディレクターとして栗城氏を近くで見続けた河野啓氏による『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)の一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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「七大陸単独無酸素」は虚偽表示
トラブルによって全国放送の番組が流れた後、私の栗城さんに対する取材モードは「応援する」から「観察する」にシフトしていた。彼という人間を、冷静に、注意深く、見つめようと考えていた。
2009年の2月上旬。番組企画が流れたことへの栗城さんの抗議メールから4日後のこと。私は彼のマンションの前にいた。朝一便で東京に向かう彼を取材するためだ。
やがて「おはようございます」と栗城さんが現れた。目は合わせなかったが、私の前でいったん立ち止まって少し頭を下げた。普段見せない仕草だった。
《少しは反省しているのかな》と私は思った。
栗城さんの人物評を尋ねると、こう答える人が多い。
「憎めないヤツ」
一方で、山の先輩Gさんや、初期の応援団長だった札幌の某弁護士のように、心のメーターが「かわいさ余って……」に振り切れた人もいる。
私自身はどうかというと、彼を目の前にするとそれまで抱えていた不満や怒りが萎えていく感覚があった。どうも強く言えないのだ。持って生まれた愛嬌もあるだろうが、それだけではない気がする。
酸素ボンベを使って登るのは8000メートル峰だけ
一つ告白しておかなければならない。
私は彼のある言葉を、「虚偽表示」や「誇大広告」の臭いを感じながらも、「まあ本人が言っているのだから」と番組の中で垂れ流してきた。