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 彼はそう言ったきり、「もしもし、栗城です」と誰かに電話をかけ出した。その横顔が妙に寂しげで、私は自分が悪いことをしたような気分になった。

 なぜそう感じてしまうのか、私なりに考えてみた。そして一つの仮説にたどり着いた。

 栗城さんが鎧をまとっているからではないか? 「命を懸けて登っている」という鎧を。それに対して私は「引け目」のようなものを感じてしまうのではないか?

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 私の言うことがまっとうな批判であっても、もしその数カ月後、彼が山で死んだとしたら「あんなこと言わなきゃよかった」と私は後悔するかもしれない。

栗城さんに遠慮が働いてしまう理由

 彼は私にこう話していた。

「ボクは普通の生命保険には入れません」

 現在はエベレストを目指す「プロの登山家」でも加入できる生命保険はある。が、掛け金は高く、支給される上限額は低く設定されている。つまり彼は、死んでしまう確率が私よりずっと高い人間なのだ……。

©AFLO

 そういう彼に「あなたは命懸けで生きているのか?」などと問われようものなら、私は返す言葉もなく俯くしかない。ちゃんと生きていない「引け目」のようなものが、私の中でうずく。栗城さんに遠慮が働いてしまうのは、このあたりに理由があったのではないか。

 栗城さんの死後、大内さんがこんな思いを口にした。

「ヒマラヤ協会の会長は北海道出身なんだけど、『大内が甘やかすから栗城みたいな登山家が出てきちゃった。お前のせいだ』ってしかられたよ。今にして思えば、もっと怒ってやりゃあよかったな。素人すぎて変に優しくしすぎちゃった気がする」

 甘やかしてしまった……そんな後味の悪さは、私の中にもある。

後ろ向きになるから何もかも失くしてしまう

「きょうの相手は手ごわいんですよ」

 出発前、私に詫びるような仕草を見せた栗城さんだったが、車が高速道路に乗るころにはいつもの彼に戻っていた。栗城さんがこの日出資を求めに行く大手メーカーは、業績不振を理由に、グループ全体で2万人規模のリストラを行なうと報じられたばかりだった。