栗城さんのエベレスト初挑戦は、NHKも番組にしている。スタッフは同行せず、栗城さんサイドから映像提供を受けた。森下さんはNHKの制作者に「無酸素はいいけど、これは単独とは言えないので、単独という言葉は使うべきではない。使ったら、登山関係者から叩かれる」とはっきり告げたという。
私はNHKのその番組『7サミット 極限への挑戦』(2010年1月4日放送)を見たが、そうだったかなあ、と首をひねった。
NHKの制作担当者にザイルの件を尋ねると…
森下さんはこう語った。
「単独という言葉自体は、他の六大陸の場面でしか使っていないはずですよ。でも番組の流れから、エベレストにも単独無酸素で挑戦しているんだ、って思わせるような作りでした」
私は2019年、NHKに取材を申し込んだ。質問は多岐にわたるが、1つはこの番組の中でエベレスト登山を「単独」と表現したか否かについての確認である。また、シェルパがザイルを張ったことについて、制作担当者が認識していたかどうかを尋ねた。しかし「お答えできない」との回答だった。
2012年のエベレスト挑戦を描いた同局の番組『ノーリミット 終わらない挑戦』(12月23日放送)では、「単独無酸素」という言葉は使われていない。栗城さんのことを「自分で自分を撮影しながら世界の山々を登る、ちょっと変わった登山家」とナレーションで語っていた。
『7サミット 極限への挑戦』の3週間後に放送される番組を作った私は、「ザイル事件」に強い疑念を抱きながらも、はっきりと「単独無酸素」と表現した。エベレスト「1サミット」に特化した内容だったことを、栗城さんはとても喜んでいた、と人づてに聞いた。
「それは、言っちゃいけないことになっているので……」
ザイルの意味や森下さんの思いを知っていれば、まったく別の番組になっていたかもしれない。
私は森下さんを、栗城さんと同じスタンスの人だと誤解していた。と言うのも、私が見た映像の中にこんな場面があったのだ。
ABCのテントの中でカメラマンが森下さんに何かを尋ねた。その質問は小声で聞き取れなかったのだが、森下さんの声は明瞭だった。
「それは、言っちゃいけないことになっているので……」と、森下さんは苦笑したのだ。
ザイル事件の後だったので、私は「栗城隊」の中には何か口外できない秘密があるのだな……と勘ぐった。九年の歳月を経て、ようやくその言葉の意味がわかった。
「ボクがそう言ったとしたら、たぶん『ルートとかのアドバイスはしないんですか?』って聞かれたんだと思います。『それをしたら単独登山ではなくなるから言っちゃいけない』と答えたんじゃないかな。単独である限り、たとえば塊岩を上から行くか下から行くか、そういうことにも口出しすべきではないと思うし。天候の予測とか、聞かれたことだけを淡々と伝えるのが、ボクの仕事だと思っていたので」
ボクがもし口出しをするとしたら、と森下さんは言った。
「このまま行ったら死ぬな、という場合だけです」