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考察・プロ野球界における「パンチパーマ」の流行と衰退

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2018/02/04
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「新人類」の登場

 ところが次第にパンチパーマには負のイメージがつきまとうようになる。新聞記事に「パンチパーマ」という語句が散見されるようになるのは1980年代半ば頃からであるが、それは指名手配犯の人相書きや強盗犯の特徴を示す際に使われることがほとんどであった。1980年代半ばには既に「パンチパーマ=反社会的勢力、怖い人物」というイメージが定着していったことがわかる。

 野球界においても、いわゆる「新人類」の登場とともにパンチパーマは急激に影を潜めていった。1988年、若い女性ファンをターゲットに創刊された雑誌『プロ野球ai』(日刊スポーツ出版社)の表紙を飾った工藤公康はブローされたナチュラルな頭髪に手を当てて微笑んでいた。それは野球選手が「オジサン」ではなく「オニイサン」になった瞬間であった。

 以降この雑誌に登場したパンチパーマ選手は、ルーキー紹介ページのオリックス・佐藤和弘ただ一人である。その佐藤のパンチパーマが話題となったのも、若者がパンチパーマをかけることへの違和感からであろう。近年に至っては、2010年のシーズン前に阪神の安藤優也が金本知憲に対して「10勝以下ならパンチパーマになります」と約束したことが報じられるなど(「朝日新聞」2010年1月21日朝刊19面)、もはや「パンチパーマ=罰ゲーム」の扱いである。施術に高い技術を要し、ヘルメットを被っても崩れず実用的な髪形であるパンチパーマがこのような扱いを受けるのは、何とも寂しいものではないか。

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 ところで「新人類」と呼ばれた野球選手の多くは美容院に通い始めたものと推測され、1990年代半ばからは新たな髪形のムーブメント、茶髪が登場する。パンチパーマが理髪店の技術の極致だとするならば、茶髪は美容院の腕の見せどころである。1993年頃から新庄剛志あたりがメッシュを入れ始め、1996年になると松井稼頭央を筆頭に明らかな茶髪の選手が目立ち始めるようになる。1996年とは「アムラー」が流行語大賞に入賞し、巷に茶髪の若者が闊歩していた年である。

 その後茶髪は金髪や長髪へと発展を続けた上、各球団の禁止令などを経て現在にも僅かながら姿を留めている。一方でパンチパーマ復活の兆しは感じられない……。と思っていたが、2017年、菊池涼介がその髪にパンチをあてた。理由を「山本浩二への憧れ」と説明していた菊池だが、もともと短髪の菊池にはパンチパーマがよく似合い、計算され尽くした髪形であることが分かる。そして、後輩の上本崇司も同じ髪型になった。果たして彼らに続くパンチパーマ選手は現れるのか。パンチ王国カープの復活は果たされるのか。選手達の髪形にも注目していきたい2018年シーズンである。

カープ三大パンチパーマが似合う選手(個人的見解) ©オギリマサホ

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