シーズンオフ、カープ各選手の契約更改のニュースを見ていて考えた。西川龍馬は確実に(美)だと思う。安部友裕も(美)かも知れない。松山竜平は(理)だろうし、丸佳浩はご実家が(理)だから(理)ではないだろうか。

 ここでいう(美)と(理)とは、

(美)=美容院に行ってる選手
(理)=理髪店に行ってる選手

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 である。最近では美容院と理髪店の垣根もなくなりつつあるが、それでも「今風の髪形をしている人=美容院」「昔ながらの髪形をしている人=理髪店」というイメージは未だ残る。

野球界におけるパンチパーマの流行と衰退

 その「昔ながらの髪形」の最たる存在、丸刈りで2018年度カープ新入団選手会見に臨んだのがドラフト1位・中村奨成であった。他の高卒新人選手がそれなりの短髪だったのに対し、中村奨は一人丸刈りを維持していた。緒方孝市監督が約30年前の自身の入団会見時に、まるでビーバップハイスクールから抜け出てきたかのような髪形で臨んでいたのとは対照的である。

 今後プロの第一歩を踏み出す中村奨にとって、理髪店に行くも自由、美容院に行くも自由。その頭髪には無限の可能性が広がっている。そこに目をつけ、いち早く新たな髪形を提案したのが東京スポーツであった(2017年12月26日4面)。その提案とは「パンチパーマ」。記事では中村奨の笑顔にパンチパーマを合成した写真を掲載し、「ヘアーサロン十日市」広瀬社長の「本人がその気ならいつでも(パンチパーマを)しますよ」との発言を紹介している。

中村奨成の限りない可能性(髪) ©オギリマサホ

 この広瀬社長が以前出演したテレビ番組(広島ホームテレビ「カープ道」)で語ったところによると、水谷実雄や山本浩二などカープ黄金時代の選手9割の髪形を手がけ、うち5割がパンチパーマであったという。手入れが楽なこともあってか球団内で評判が広まり、広島を辞めて大洋の監督に就任した古葉竹識の紹介で加藤博一や高木豊、欠端光則など大洋の選手も広瀬社長のもとを訪れたそうだ。野球界におけるパンチパーマ流行の発信源はカープであり、その伝播に古葉監督が一役買っていたのかと思うと感慨深いものがある。

 そう言えば1980年代の野球選手は皆、子どもの私の目には「オジサン」に映っていた。その印象に貢献していたのが「パンチパーマ」「金ネックレス」「セカンドバッグ」の三種の神器だったように思う。野球選手のファッションの類型がここに完成したのである。