新兵教育カリキュラムの書類
そんなことを思いながら、暗がりの中をフラッシュライトの灯をたよりに進む。しばらく歩くと、ズルッと何かに足をとられて転びそうになった。雪でぬかるんだ泥の中を歩いてきたブーツが踏みつけたのは、プラスチックのクリアファイルの束。あやうくそれらを蹴り上げ尻もちをつくところであった。ブービートラップでもあったら大ごとである。憎らしいそのクリアファイルにフラッシュライトを向けると、ホチキスでまとめられた書類の束が浮かび上がった。
「計画書」「ロシア陸軍」「ルハンスク」
「セクレタ(機密)」のスタンプも日付も担当者のサインもないが、ページをめくってみる。基礎体育を何時間、射撃を何時間、地雷(工兵)教育を何時間……中身はもろ新兵の教育カリキュラムである。こんなもんを占領地に持ち込まねばならないほど、ロシア軍はドロ縄状態なのである。
こりゃ持って帰って詳しく調べてもらお……とポケットに書類の束をねじ込もうとして手が止まる。アカン。もし帰路のウクライナ軍の検問でこんなもん見つかったら、スパイやの破壊工作やの、どんな疑いをかけられるかわかったもんやない。仕方なくその場で書類を1枚1枚めくってカメラで複写していく。しかし量は膨大でキリがない。ファイル1冊分を撮り終えて、すべてを網羅するのはしぶしぶあきらめた。
居住区の後にのぞいたオペレーション・ルームの床は居住区ほどゴミは積もっていなかった。乱雑に並べられた木製の机の上には「通信幕僚」「輸送幕僚」といった役職名の札がかけられている。デスクの上には撤退3カ月以上前の「アルミ―」(ロシア版「Stars and Stripes」星条旗新聞、要は軍属専用の日刊紙)が広げられていたことから、この基地にはロシア本国から派兵されてきた正規軍もいたことが察せられる。正規軍の占拠する基地でさえこの有様なのである。
壁に貼り出された核兵器マニュアル
さらに壁面を見て驚いた。「核兵器」とタイトルのついた核兵器対処マニュアルが貼りだされたままなのである。そこには核兵器の種類やそれへの対応方法がイラストとともに描かれている。貴重な資料を処分できぬまま逃げ出したと考えるのは早計である。おそらくこれはわざとであろう。
「我々は核兵器を持っている。しかも世界最大の。いつでも使えるぞ」
そうウクライナの民をビビらす目的のメッセージなのであろう。これが21世紀の国家のやることであろうか?
あわてての撤退で戦友の死体や機密書類は残しておきながら、こういう嫌がらせやプロパガンダはきっちり忘れん。それがロシアという国の軍隊の正体なんである。