「『ジャニーズに居続ける意味はそんなにないと思うんですよね。どこにいてもやっていけるでしょ』って言っていました。どんどん周りが事務所を辞めていくなか、三宅さんも居づらさを感じていたのかと思います」

 そう話すのは、本人と長く親交のあるメディア関係者だ。

 2月20日の深夜、三宅健(43)がとうとうジャニーズ事務所からの退所予定を発表した。

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《私、三宅健は2023年5月2日をもちまして、ジャニーズ事務所を退所する運びとなりました。 突然のご報告で、ファンの皆様を驚かせてしまい大変申し訳ありません。 
 

 ジャニーズであること、アイドルであることをずっと誇りに思ってやってきました。年齢を重ねこれまでの経験を胸に、新しい自分と出会いたいと思うようになり、一から様々なことに挑戦していく次のステージへ向かうため、このような決断に至りました。 
 

 ジャニーズ事務所に入所してから30年間、右も左もわからないような10代の頃から四半世紀以上、長きにわたり大変お世話になりました。ジャニーズとして、ジャニーズファミリーの一員として活動してきたこの30年間は、私にとってかけがえのない宝物です。

 

 今の自分があるのは、子供の頃から育てていただいたジャニーズ事務所と、ずっと支えてくださったファンの皆様のおかげです》

 そう始まる三宅からの「報告」は、終始一貫ファンに対してものすごく丁寧なものだった。

三宅健(本人のInstagramより)

オーディション無しの“異例待遇”

 1993年、14歳のときに親戚から勧められてジャニーズに履歴書を送ったところ、2~3日後に電話をかけてきたのがジャニー喜多川氏だった。

「SMAPのコンサートに誘われて見に行くとそのまま舞台上に。中居正広のバラードの最中にたたずむ少年たちのひとりとして出演したんです。その当日に私服のままアイドル雑誌の撮影にまで参加したというオーディション無しの異例待遇でした。それだけそのヴィジュアルをジャニーさんがひと目で気に入ったということです」(女性誌芸能デスク)

 すぐに同じくジュニアだった森田剛との「剛健コンビ」として注目を浴び、1995年にはバレーボールワールドカップのイメージキャラクターとして結成された「V6」の一員に抜擢されたのだった。