今年1月30日、台湾に本社を置く鴻海科技グループが、日本電産前社長の関潤氏(61)をEV事業のCSO(最高戦略責任者)として迎えることを発表した。

 関氏は日産自動車でエンジンの生産技術畑を中心に歩み、中国合弁会社の社長を務めるなど「日産のエース」として知られた人物だ。2019年にはナンバー3の副COOに就任している。

関潤氏 ©時事通信社

 2020年、関氏は日本最大のモーターメーカー「日本電産」の永守重信会長から三顧の礼で迎えられ、同社の社長兼COOに就任。永守氏は自身の後継者含みで関氏を迎えたとみられた。

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 ところが昨年9月、関氏は日本電産を電撃的に退社。その去就が注目を集めていたところに、台湾企業への転身が発表され、自動車業界に驚きが広がった。

 なぜ関氏は日本を出て台湾へと渡ったのか――。

 今回、関氏は「文藝春秋」4月号でジャーナリストの井上久男氏によるインタビューに応じ、電撃移籍を巡る数々の疑問に答えた。

「攻め」の仕事をしてみたい

 日本電産を退社した後、関氏は転職先を選ぶ基準として「2つの大きな柱」を考えていたと語った。

「1つ目は、世の中への貢献度が大きい仕事。なるべく多くの人のためになる、インパクトがある仕事がしたかった。その意味では、地球規模で貢献できるEV(電気自動車)事業も、選択肢の1つでした。

 2つ目は、『攻め』の仕事ができること。売り上げ・収益の両面で、アグレッシブに成長を目指す仕事をやってみたいという気持ちがありました。例えば在籍していた日産での最後の仕事がカルロス・ゴーン氏の拡大戦略を軌道修正するために工場閉鎖するなどの構造改革でした。そうした『守り』の仕事が苦手なわけではないけれど、面白さという点では『攻め』の仕事にはかなわない」