昨年12月、日本を代表する思想家・哲学者である柄谷行人氏が、「哲学のノーベル賞」を目指して創設された「バーグルエン哲学・文化賞」を受賞した。
柄谷氏は、「文藝春秋」の2時間に及ぶインタビューで、賞金の使い途と、哲学者「柄谷行人」ができるまでを語った。
賞金は100万ドル、日本円で1億円以上の大金だ。
「今回の受賞に際して、皆が真っ先に注目するのは、賞金の額のようです。私自身、やはり賞金に驚きました。この取材がきたのも、その力でしょう」
そう言って笑う柄谷氏に、使い途を直撃すると……。
「よく尋ねられますが、これほど大きな額のお金の使い方は、考えたことがなかったから、そんなに簡単には決められません。今回の受賞ではじめて、お金をどう使ったらいいのかを考えさせられましたね」
日本を代表する哲学者も、思わぬ「難問」を前に悩んでいるようだ。
柄谷氏が「アソシエーション」と呼んでいる、社会運動の組織を援助する資金にするとのことで、すでに2ヶ所への寄付を決めているという。
球技が得意だった少年時代
柄谷氏は1941年、兵庫県尼崎市で生まれた。
「私は変わった子どもだったと思います。小学校に入学してから2年間、ものを言わなかった」
その後、話すようにはなったというが、人前に出るのが好きではなかった柄谷少年は読書にいそしむ。
「家には読書家だった父の本が沢山あったので、自然と本を読むようになりました。繰り返し読んだのはアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』や、吉川英治の『三国志』などです。大人向けの文学全集や哲学書も、小学生のころから、読んでいましたよ」
「中学生のときにはドストエフスキーの作品をほとんど読みました。すべての書の中で、最初に且つ最も影響を受けたのはドストエフスキーです。哲学者のデカルトを知ったのも中学生のころ。ソクラテスも好きでしたね」
読書にはげむ一方、柄谷少年はスポーツにも打ち込んだ。西宮市にある中高一貫の名門、甲陽学院へ進んだのも、同校の野球部OBだった小学校の先生に勧められたからだ。
「野球が自分に向いていると思わなかったから、中学ではやらなかった。かわりに、バスケットボールをやるようになりました。実際、高校のときは、キャプテンでした」