その男は22歳の秋(2017年)に侍ジャパンに選出された。原則24歳以下などの制限付きの代表戦ではあったが、宿命のライバルである韓国代表戦において、日本がタイブレーク制の延長10回表に3点を失ったその裏に起死回生の同点3ランを放つ目覚ましい活躍を見せた。

 23歳の秋(2018年)にも代表入り。今度は日米野球に出場した。最初の試合で代打安打を放つと、翌日からは全試合スタメンに名を連ねて、出場した6試合全てで安打を放ち21打数10安打、打率.476という圧倒的な成績を残してみせた。

 背番号51の侍ジャパンの若きニューヒーローの登場に、日本中の野球ファンが「イチローの再来になる」と大きな期待を抱き、歓喜した。

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 その男は、上林誠知だ。

 今年がプロ10年目。次の誕生日で28歳になる。

上林誠知 ©時事通信社

 先日の宮崎春季キャンプで、敢えて質問してみた。今回のWBCをどう見ているのか。

「楽しみですよね。出たかったという気持ちはあります。日本(代表)もそうなんですけど、他の国の代表チームも結構興味がある。いろいろなメジャーリーガーが出るので、そこは楽しみですよね」

 上林はホークスでも、もちろん将来の超主軸候補として大いに期待されていた。

 彼には華がある。特別派手なパフォーマンスをしたり、ファンに向けて饒舌に何かを語ったりするタイプではない。そもそも「野球に笑顔はいらないです」ときっぱり話していた。

 淡々とプレーをする。だけど、彼から伝わる躍動感や何か底に秘めたとんでもない能力を我々が感じ取るのは難しくなかった。

 また、上林自身がかねてよりイチローへの憧れを公言し、ホークスでも背番号51をつけていることで、ファンも「鷹のイチローになる」という夢を共に追いかけ、思いを重ねた。

 ホークスでも数々の輝かしい記憶をファンに与えてきた。20歳になったばかりで放ったプロ1号本塁打がド派手な逆転満塁ホームランだった。先述の日米野球に選ばれたシーズンでは143試合フル出場を果たし、リーグ最多14三塁打、22本塁打、13盗塁を決め、外野手としては2年連続の捕殺王となった。

「一生忘れない」イチローと過ごした夢のような時間

 そんな上林だが、憧れのイチローと一度だけ会ったことがある。しかも、それは2人きりでの練習だった。

 2016年12月26日。上林はこの日付を「一生忘れない」と言い切る。前日のクリスマスの夜に「明日ならば、イチローさんと練習できるよ」と電話が入った。間を取り持ってくれた知人から事前に“もしかしたら”と聞かされていたが、まさか実現するとは思っていなかった。

 埼玉の実家に戻っていた上林は早朝の新幹線で神戸へ。東京駅では「東京ばな奈」を3箱買い込んだ。新神戸駅からは地下鉄に乗りほっともっと神戸へ。

 そしてついに対面の時。

「第一印象は『うわ!』でした。独特の雰囲気に圧倒されました。で、お土産を渡したんですが、イチローさんなら多分そう返してくるだろうなと想像しながら、ありきたりだけど『コレつまらないものですけど』と言ったんです。そしたら案の定『つまらないものはいらないな~』って。うわ、っぽいなと思いました(笑)。だってイチローさんの言いそうなことや考えは分かっているつもりだったから」

 一緒に走って、キャッチボールをして、打撃練習では交互に打った。夢のような時間を過ごした。

 野球を始めた頃から憧れ続けた人。中学生の頃は、イチロー関連の本や雑誌を読み漁った。

「バッティングの動画やヒット集も見ましたけど、僕はインタビューを好んで探しました。だってイチローさんが喋っている方が面白い。独特の間、そして1個1個言葉を選んで喋っている感じがカッコいいんです」

 上林にとってイチローとは――。

「自分を作り上げてくれたヒト。僕はイチロー信者みたいな感じなので。高校時代の監督とイチローさん、この2人の考え方で僕は生きてきた。そこがなければ、今の僕はない」

 上林が「野球に笑顔はいらない」と言ったのもイチローがそのように話したからだった。極力クールに振る舞うよう心掛け、イチローが「教科書に当てはまらないよう生きていきたい」と言ったから他人と同じやり方や考え方を嫌がった。