――千秋さんの反抗期にも、関係は変わらなかった?
千秋 「大好き」っていっぱい言われてたから、「絶対どんなことがあっても親は私を見捨てない」ってどこかで知ってたし、私も両親がずっと大好きで。高校生のとき「お母さんなんか死んじゃえ!」って言った後、布団の中で「私があんなこと言ったせいで本当にお母さん死んじゃったらどうしよう」って泣いてました。だけど「ごめんなさい」も素直に言えなくて、「おやすみっつってんだろうが!」ってデカい声で叫んでお母さんの生存確認したりして(笑)。両親は「挨拶してるうちは大丈夫だね」って笑ってたらしいです。
――生存確認がかわいいですね。
千秋 父も母も、いっつも私のことを「目の中に入れても痛くない。お人形さんみたいにかわいい」って言ってくれたので、私は本当に自分のことをかわいいと思えていました。ただフランス人形みたいな感じをイメージしてたのに、後で聞いたら「こけし」の方だったんだけど。
――千秋さんのお子さんは今年で20歳なんですよね。子離れ親離れ、さみしいですか。
千秋 全然。もう念願の! って感じ。「20歳になったら私は本当になにもしないからね」って伝えてます。
娘はコミュ力が異常に高くて、「いつも機嫌がいいよね」って人から言われるのが親としてすごく嬉しいんです。その性格とかコミュ力は私より遠藤くんに似たのかな。遠藤くんも人生のポリシーが「いつもニコニコ」って言ってたから。
「芸能界でメンタルを崩さずやってこられたのは、お友だちと家族のおかげ」
――千秋さんにとってのご両親のように、安定したホームがあるからではないですか?
千秋 居場所は本当に大事だと思っていて、『ウリナリ』で忙しかった時期も、短大の仲良しメンバー6人で毎週水曜の19時に集まるって約束してたんです。もちろん遅れたり行けない日もあるけど、それはずっと続きました。
私が芸能界でメンタルを崩さずやってこられたのは、お友だちと家族のおかげなんです。
――芸能界でなにかあっても、他に行ける場所があると。
千秋 そう。私は芸能界の中にいるっていうより、家から毎日芸能界に通ってるみたいな感じがずっと続いてるんです。テレビの中だけで生きていかなきゃいけないってなったら、脱落するのが怖くて不安定になってたかもしれない。
もしかしたら、いつか仕事がなくなってもいいように、家族とかママ友とか趣味とかYouTubeとか、いろんな居場所を自分で無意識に作ってるのかもしれないですね。