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「古層の実装」と新海誠

 だが、僕は、もう一方で、その「浅さ」と対照的な現象が同時進行していることに幾ばくか危惧を感じる。

 さすがにこの「浅さ」に耐えかねて、と言うことなのだろうが、それは一言で言えば「古層の実装」とでもいうべきナショナルなものの語られ方だ。つまり、「浅い」表層の下にいささか安直にもう一層、「古層」を用意するのだ。

 そのことに改めて思い当たったのが、新海誠のアニメーション『すずめの戸締り』である。そして同様の印象を例えばこの数年間、『シン・ゴジラ』の批評に英霊を見出す言説の一般化や、何よりも柄谷行人が柳田國男に回帰し「固有信仰」と言い出したことにも感じたことを思い出した。

 これらは、海自の無邪気なコスプレよりはいささか厄介だ。

 敢えていえば「知的」といえなくもない。だが、僕が困惑するのはその「古層」の平坦さである。

新海誠著『小説 すずめの戸締まり』(2022年、角川文庫)

 例えば新海誠の近作でいえば、セカイと私が直結する世界像にもう一層、レイヤーを導入する二階建の世界になる。『すずめの戸締まり』では現実の世界の下にもう一層、要石が地震の神を封じる地下世界がレイヤーとして存在するのだ。

「古層」とは例えばそのことをいう。

 無論、このような作品世界の二層化は、ゲームやラノベの世界では珍しくない。

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 新海は今回、村上春樹の影響を強調するが、村上の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の二層構造が、麻枝准のコンピュータゲーム『AIR』『クラナド』などの世界像に移植されたことは、ぼくの見解ではなく元学生から熱心に説かれた記憶があった。うろおぼえで書けば、『クラナド』だと「幻想世界にいる私」と「現実世界にいる私」、『AIR』なら「カラスとして存在する現実世界」と「私として存在する現実世界」からなり、確かに世界の二層化は『海辺のカフカ』や『1Q84』あたりでも村上春樹が好んで採用した図式だった。実はこの二層化の話は、学生に大江健三郎を読ませたところ返ってきた反応で、学生は大江が麻枝准のように「読みやすい」と言ったのだ。そして麻枝准の作品が村上を介して間接的に大江の『M/Tと森のフシギの物語』の影響を受けているのではないか、とまで言うのだった。実際、笠井潔が村上春樹と美少女ゲームやラノベの相互関係について論じていたはずで、その直系としての新海誠のとるべき必然的な選択として『すずめの戸締まり』が、いわば彼の「村上春樹化」としてあった、でアニメ評論としては留めてもいいのかもしれない。

 しかし、やはりその「古層」の描かれ方が気になる。櫻井よしこが安倍晋三の物語にヤマトタケルの「古層」を見ても驚きはしないが、新海が『すずめの戸締まり』で神話的古層を描き、それが普通に受け入れられていることにオールドスクールの左派であるぼくはやはり困惑する。

大塚英志氏による「アニメと英霊(全3回)」の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています。タイトル、見出しは編集部によるものです。

文藝春秋

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アニメと英霊 第1回