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〈『すずめの戸締まり』で新海誠は「神話」を描いた〉日本のサブカルチャーはなぜ右旋回するのか?

2023/03/11
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ナショナリズムの“スーパーフラット”化

 そこで川上はこう述べていた。

 欧州中央銀行の会見でドラギ総裁に女性が襲いかかる事件が起きた時、「女性の南斗水鳥拳にドラギ総裁が気功砲で応戦した」とネットやテレビで話題になった。社会で何かが起きて気の利いた風刺をしようとした時に出てきたのが「北斗の拳」の例。知的な笑いを表現しようとしたら、その素材は「ジャンプ」になった。昔の人の「オデッセイア」にあたるものは、今の日本人には「ドラゴンボール」ですよ。残念ながら日本のインテリの教養の原点は「ジャンプ」だというのは、現実として認めないといけない。(2015年8月17日付 朝日新聞デジタル「川上量生さん『残念ながら日本の教養の原点はジャンプ』)

 川上が言及したのは、2015年4月16日、ドラギ総裁の記者会見中にドイツ人女性が乱入し、紙吹雪と罵声を浴びせた事件の報道に対するSNSの反応である。川上は解釈のための共通の知を「教養」と呼ぶが、「EBCの独裁を終わらせろ」と抗議する乱入者の政治的文脈は『ジャンプ』的「教養」には一切、回収されない。サブカルチャー的教養はその背景の歴史や政治を剥離させる機能をしばしば持つからだ。もちろんこの場合の「サブカルチャー」という語法はかつて、江藤淳の語った「サブカルチュア」、つまり歴史からも地勢図からも解離した文化状況を指す語法に倣っている。

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評論家・江藤淳はかつて歴史から解離した文化を「サブカルチュア」と呼んだが…… ©文藝春秋

 その意味で海自Tシャツからは、同じ写真で船上に掲げられた旭日旗が常に東アジアで政治的な軋轢の種としてあることや、臨時閣議だけで決まってしまった「安全保障関連三文書」の改定など、昨年末の岸田内閣の防衛政策の暴走も一切、表象しない。これを現代美術家・村上隆のかつての日本文化論をやや悪意を以て引用し、ナショナリズムの「スーパーフラット」化というのも虚しいが、政治や政治的な「日本」はすべからく、まるで村上隆のアートのようになってしまった。安倍マリオ以降、政治やナショナルな領域でのサブカルチャーの借用(「引用」などと書くとわずかにでも批評的価値を認めてしまうことになる)は、その局面局面で背後にある、最低限、思慮すべき政治や経済さえも剥離させることに貢献してきた。つまりこの国の有権者がバカになっていくことに貢献していた。

 サブカルチャーを参照して了解されるもの以外は、そのフラットすぎる器に何も盛れないのである。『ジャンプ』的「教養」の圏外に、ひどく初歩的な政治や経済や文化や科学が駆逐されていることの例は逐一、指摘する必要もないだろう。これは、アニメやまんがが悪いわけではない。アニメやまんがの借用で事足りると思い込む政治が「浅い」のである。