この自由通路にはほとめき広場という名がつけられている。“ほとめき”とは、筑後地方の方言で“おもてなし”を意味するのだとか。だいたい遠方から久留米にやってくる人は、新幹線でこの駅に降り立つところからはじまるわけで、ほとめき広場というのはふさわしいネーミングといっていい。
そしてそのほとめき広場を歩くと、何やら聞いたことのあるインストゥルメンタルのBGMが聞こえてくる。この曲はなんだっけ……と頭を捻って思い出す。そう、松田聖子の「赤いスイートピー」ではありませんか。
いったいなんでこんなところで……と思ったが、よくよく考えれば松田聖子は久留米の出身であった。
BGMは他にも3曲あって交互に流れていて、他もリードボーカルの藤井フミヤが久留米出身のチェッカーズ「涙のリクエスト」、久留米で育った中村八大が作曲の「上を向いて歩こう」、あとはこれまた久留米で育った詩人の丸山豊が作詞した合唱曲「筑後川」。
駅で降りてほとめき広場を歩くだけでも、ああ、この人は久留米の人だったんですね、と少しだけ情報を仕入れることができる設えだ。なかなかよくできたお出迎えである。
まずは“まちなか”へ
久留米ゆかりの懐メロに包まれながら、駅の外に出る。西側の水天宮口はすぐそばに筑後川が流れていて、東側は「まちなか口」と名乗る。ならば、まずはまちなか口を歩くのが筋というものだ。
実際、東口の駅前にはバス乗り場とタクシー乗り場のロータリーがあって、駅舎の正面には太鼓を模した大きな時計が建つ。
田中儀右衛門(東洋のエジソンと言われた発明家で、おおざっぱに言えば東芝の創業者)にちなんだからくり時計なのだとか。なるほど、ここでも久留米という町がこんな町ですよ、と否応なく教えてくれる仕掛けがあるというわけだ。
駅前の広場にはほかにも“どでかいタイヤ”に“屋台”が
さらに、駅前広場にはほかにもふたつのオブジェがある。ひとつは、とてつもなくでっかいタイヤだ。
言わずもがな、久留米はタイヤメーカーのブリヂストン発祥の地。いまでも久留米に大きな工場を置いている。他にもゴムやタイヤの工場がいくつかあるらしく、“ゴムタイヤの町”というのが久留米のひとつの顔であることを教えてくれる。
そしてもうひとつは、からくり時計やタイヤと比べると小さいので見過ごしてしまいそうだが、ラーメンの屋台である。