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 盛んにバスがふたつのターミナルを結んでいるので、歩くのではなくバスを使うのが正しいというくらいの距離である。

立派な駅ビル、バスターミナル、繁華街、百貨店…ずいぶん大きな「西鉄久留米」

 西鉄久留米駅は、JRの久留米駅に負けないほど、というかそれよりも大きいといっていいほどの規模を持つ。商業施設と一体となった立派な駅ビルがそびえ、バスターミナルが設けられ、駅前からはそのまま繁華街に続く。

 人の賑わいもいかにも30万都市のターミナル。さらに駅の東側にはペデストリアンデッキと百貨店・岩田屋が建ち、その奥にも市街地は続いている。

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 ただ、古い地図を見ると西鉄久留米駅のあたりが市街地になったのはそれこそ西鉄久留米駅が開業した大正時代以降のようだ。

なぜ「久留米」は今の形になったのか

 それ以前、西鉄久留米駅の周辺にはほとんど何もなかった。JR久留米駅北側の久留米城を中心とした城下町は、南東に向かって広がっていたが、西鉄久留米駅付近はそこから少し外れた場所だったのだ。だから、本来的に言えばJR久留米駅の周辺に中心市街地が形成されてもおかしくはない。

 なぜこうした町になったのかというのは、戦災とその復興などもあっていろいろな要素があろうが、西鉄久留米駅は町人町の商業地に近かったことが関係しているのではないかと思う。

 武家屋敷が多かったお城の周囲(つまりJR久留米駅の近く)は、おおよそ学校やブリヂストンなどの工場に生まれ変わっている。比較的広い敷地の確保がしやすかったのだろう。

 反対に1924年に遅れて現れた西鉄のターミナルは、雑多な町人町の延長線上に設けられたことで、繁華街に直結するターミナルになることができたのではないか。

 

 もうひとついえば、久留米の町の西側は筑後川が流れていて、開発の余地は少ない。土地に余裕のあった西鉄久留米駅東側に市街地が拡大していくのは必然だったといっていい。

産業が根づき、大都市にも近く…「久留米」の“立ち位置”

 久留米の町は、産業が豊かな町だ。大正時代に始まった地下足袋生産がきっかけで、ゴム靴の生産に発展、それがさらに高じてゴム産業の町になった。ブリヂストンやアサヒシューズ、ムーンスターなど名の知れた企業も多い。

 そして新幹線に乗れば博多まで20分、西鉄ならば30~40分で天神へ。交通の便にも恵まれている。働く場所もあるし、福岡市内に通勤しようと思えばそれも楽ちん、町中には繁華街があり必要なものはすべて揃う。この地ならではの特産品や名物グルメもある。

 旧城下町の独立した都市という側面と、福岡のベッドタウンという側面も両立できるこの久留米という町は、あんがいに最強なのかもしれない。あちこちに背の高いマンションが建っているのは、そうした事実の表れなのだろうかと思うのである。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。