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虚実混じる自白と、杜撰な訴訟記録

 ペドロの狂気と異常性を伝えるに十分なエピソードだが、後にペドロは精神科医に対し、父親を殺したのは父親の愛人の親族だったと証言したそうだ。現地紙「オ・グロボ」はペドロの告白にはこういった食い違い、辻褄の合わない事実がいくつかあると評価している。

1996年に撮影されたペドロ(ブラジル現地紙「オ・グロボ」より)

「少年時代から数々の犯罪に手を染めてきたペドロですが、初めて逮捕されたのは意外にも19歳になる年だった1973年のことです。この時の罪名は強盗、麻薬密売、殺人だったと言います。ペドロの自白には虚実が混ざっているようですが、現地紙は様々な報告書を根拠に、最終的に71件の犯罪が立件され、延べ400年の懲役が言い渡されたと調査で結論づけています。ですが、1970年代のブラジルでは訴訟記録の管理が杜撰で、これが本当の数字かどうか。かつて行われたペドロへのインタビュー当時は、殺人の記録が18件分しか残っていなかったといいます。その数字をインタビュアーに知らされたペドロは、その少なさに驚いていたそうです」(前出・大手紙国際部記者)

刑務所内でも死体の山を積み上げたペドロ

 ペドロは人生のほとんどを刑務所で送った。長期の刑務所生活は彼の更生を促すどころか、死体の山を積み上げる結果となった。ペドロにとって刑務所は凶器を簡単に手に入れられる絶好の環境だった。自分の命が狙われていると知るや看守からナイフを購入し、中庭で敵対する囚人3人を殺したという。

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「受刑中のペドロの生活はとても規則正しかったようです。朝4時に起床し、6時まで独居房で縄跳び、腕立て伏せなどの運動を行い、冷水のシャワーを浴びると刑務作業へ向かう。デッサンを学ぶ授業を受けていたこともあったといい、アカデミー脚本賞を受賞したこともある小説家のシドニィ・シェルダンの作品を読んで過ごしたことも明かしています」(同)

服役中は規則正しい生活を送っていた(ブラジル現地紙「オ・グロボ」より)

 ペドロは2003年にブラジルの雑誌「エポカ」のインタビューに応じ、13人きょうだいであるとし、うち1人は泥棒に殺害されたが、その犯人は自身が後に殺したと明かしている。生涯で100人以上の命を奪い、刑務所内だけでも47人を殺したと告白。「ぺドリーニョ・マタドール(殺人者)」というニックネームが定着したのは獄中にいる時期だった。

 ペドロが生涯で殺害した大半が看守と受刑者だったという。ペドロを好意的に見る者が少なからず存在するのは、多くの殺人が刑務所内で行われ、被害に遭ったのがそもそも犯罪者であったことが理由のようだ。コロンビア現地紙でさえ、ペドロについて「一部の人にとっては治安を守るガードマン、他にとってはサイコパス」と表現し、大量殺人は「社会浄化」とまで持ち上げたことがある。だが、この見方は必ずしも正当ではないだろう。「いびきがうるさい」という身勝手な理由で同房者の息の根を止めたこともあったのだから。