13歳で殺人衝動を覚え、14歳で初めての犯行
ペドロは学校へ通わず、秘められた残虐性が教育で矯正される機会はついになかった。初めて殺人衝動に駆られたのは13歳のとき。もみ合いになった年上のいとこを、サトウキビの粉砕機に押しつけ殺しかけたという。この一件は未遂に終わったが、ペドロが人殺しに手を染めるまでにそう時間はかからなかった。
「ペドロは14歳で初めて殺人を犯したとされています。学校の警備員として働いていた父親が、昼食を盗んだというあらぬ疑いをかけられて解雇されたことが原因でした。激昂したペドロは解雇を命じた副市長を襲い、真犯人と睨んだ別の警備員を殺害したといいます。しかし現地紙はこの事件に関する警察当局の公式記録は存在しないとしています」(ブラジル在住ジャーナリスト)
麻薬王の未亡人と恋に落ち、暴力性を加速させ
副市長らを襲撃した後、ペドロはサンパウロ州のモジ・ダス・クルーゼスへ向かい身を隠した。この逃避行の最中に、麻薬王の未亡人・ボティーニャと恋に落ちることになる。ペドロはボティーニャのそばで暴力性を加速させていった。敵対する麻薬の密売人3人を殺害するなど、いっぱしのアウトローとして存在感を高めていく。
「危険なロマンスは長くは続かなかったようです。現地紙によると、ボティーニャは捜査の過程で警察当局に殺害されました。その後、ペドロは自ら売人を雇い麻薬密売の世界で頭角を現すようになりました。殺人とは無縁でいられない稼業なので、ここでも次々と商売敵を手にかけたのでしょう。やがてブラジル国内で最も恐れられる売人の1人として名が知れ渡っていきました」(同)
父親の胸から心臓を取り出し、噛みちぎって復讐
ペドロのモットーは「死には死を」。復讐が彼の行動原理であり、「やられたらやり返す」という姿勢は一貫していた。恋人を敵対組織の銃撃で失った際の復讐劇が知られている。自らの主義を貫徹するため、ペドロは犯人と見立てたライバルの密売人が出席していた結婚式に乱入。席上で7人を殺害し、16人に重傷を負わせたという。悪行はとどまるところを知らなかった。
ペドロの人生をトレースする現地紙は「本当の狂気は、ペドロの人生で最も受け入れ難い知らせを耳にした時に爆発した」と書く。知らせとは、ペドロの父親が、南米で使われる山刀「マチェテ」で母親を21回も刺し、殺したという事実。最愛の母の惨い最期を聞いたペドロは、父親への復讐を誓った。
刑務所にいた父親の元を訪れたペドロは、母の命を奪ったのと同じ凶器マチェテで父親を惨殺した。復讐はそれだけでは終わらず、父親の胸を切り開いて心臓を取り出すと噛みちぎり、残りを捨てたのだという。