「体格は平均くらい。元々ミートが上手くて、グラウンドのライト側が狭かったこともあって、左打者の村上には引っ張らずにレフト側に打たせる練習をさせていました。中学生はよく引っ張りたがりますが、逆方向に打つのはすごく難しい。体を開かずにネットの隅に打ち込むティーバッティングをやり続けたことで、広角に打てるバッターになりました」
練習への意識を変えた「U-15の落選」
そのバッティングを買われ、九州選抜では三番ファーストを担った。だがその台湾遠征の後に行われたU-15日本代表の選考会で、村上は再び挫折を味わう。九州選抜で共に活躍した増田、西浦が代表入りを決めるなか、村上ひとりが落選したのだ。
「選考会では、増田と西浦はそれぞれホームランを打っていました。ムネのバッティングもよかったですが、集まった選手のなかでは足りなかった。落選が決まった時、ムネから泣きながら電話がかかってきました。『なんで僕だけ選ばれなかったんでしょうか』と。仲が良かった3人の中で自分だけ落ちたのがやはり悔しかったんでしょう」(大津氏)
このU-15の落選後、練習への意識が変わったと吉本氏は振り返る。
「暇さえあればバットを振っていました。驚いたのはマシン打撃で徐々にマシンに近づいていったこと。最終的に3分の2くらいの距離で打つんです。自分なりに考えて取り組んでましたね。体も大きくなった中3の春ごろからはボールも飛ぶようになり、ある練習試合でライト側の高いネットを越える特大ホームランを打ったときは、相手の監督さんも唖然としてました。9月に卒団してからも休まず練習に通っていて、高校入学後のことも見据えてましたね」