日本の主砲“村神様”。その原点には中学時代に流した涙があった。選ばれし侍たちの成長の軌跡を辿る。
涙をぬぐって「行きたいです! お願いします!」
「九州選抜に入って、台湾に行きたくないか?」
2013年11月2日、大分県・おおの球場で行われた稲尾和久メモリアル秋季大会。ベンチ裏で1人泣いていた13歳の村上宗隆は、その言葉に真っ直ぐこう答えた。
「行きたいです! お願いします!」
中学2年生の秋、熊本東リトルシニアのキャプテンとして臨んだ大会。しかし3回戦で、同じ熊本の八代リトルシニアに9対1で大敗した。その試合後、村上に声をかけたのが、リトルシニア九州選抜チームの大津修郎監督だった。
「九州選抜は秋季大会の結果を見て選考します。普通は3回戦で負けたチームからは選ばないんですけれど、村上、増田珠(福岡ソフトバンクホークス)、西浦颯大(元オリックス・バファローズ)は、“九州の三羽烏”として最初から選ぶと決めていました。この子たちは絶対に将来、プロになると思っていた。ムネ(村上)は選ばれないと思っていたでしょうけれどね。『俺が選ぶ』と言うと、涙を拭って『よろしくお願いします!』と、ぴんと背筋を伸ばしてそう答えたんです。今でもあの姿が一番印象に残っていますね」(大津氏)
一方で、このころの村上は「強打者」というより「巧打者」だったと話すのは、当時から熊本東リトルシニアの監督を務めている吉本幸夫氏だ。