140kmでベース板を横切るように大きく曲がったボールに、思わず出したトラウトのバットが空を切った。
空振り三振。
あまりに漫画じみたストーリーは、最後もあまりに漫画じみた結末で幕を閉じた。
「打たれても抑えても、悔いが残らないような球を投げたいと思っていた。素晴らしいバッターですし、なんとか抑えられて良かった」
その瞬間にマウンドを駆け降りた大谷はグラブを投げ捨て、帽子を放り投げて絶叫していた。そこにグラウンドから、ベンチから選手たちが次々と飛び込んで、あっという間に歓喜の輪が広がっていく。
女房役の中村悠平捕手と抱き合い、そして三塁からは村上宗隆三塁手が、少し遅れて外野からはラーズ・ヌートバー外野手や近藤健介外野手が走ってきた。
日本が野球の母国・アメリカを倒して14年ぶりの世界一を奪回した瞬間だった。
登板を自ら球団に交渉 誰よりも“本気”で挑んだ
「国を代表して戦う誇らしさもそうですし、ほんとに自分のチームの自分の国のトップの選手たちと(同じチームで)やるというのは、各国の素晴らしい選手とやるというのは、ほんとに素晴らしい経験だった」
この感覚をずっと探し求めてきた。
二刀流を全面的にバックアップしてくれたエンゼルスへの愛着は深い。ただ、その一方でチームは低迷が続き、優勝はおろか2014年を最後に、プレーオフに進出することもできないシーズンが続いている。
「もっと楽しいヒリヒリする9月を過ごしたい」
右肘手術から復帰した2021年。本格的に投打でフル稼働、ベーブ・ルース以来の2桁本塁打2桁勝利には惜しくも届かなかったが、そのことよりも大谷が望んだのが、この「ヒリヒリする戦い」だったのである。
だからこそWBCには特別な思い入れを持って、いち早く参戦を表明。そして誰よりも“本気”で挑んだのも大谷だったかもしれない。
各国のトッププレーヤーが集まり、国の名誉と威信をかけて戦う。それはある意味、ポストシーズンの戦いとも違う、特別なヒリヒリ感を感じる戦いでもあった。そしてその最後に世界のトップチームのアメリカ代表と雌雄を決する戦いができる。
だから自らこの日のために動いた。
当初は日本での準々決勝での先発を最後に、準決勝以降はこの大会ではチームから登板を制限されていた。しかし栗山英樹監督に登板志願。エンゼルスと掛け合って、この日のマウンドを実現したのも大谷自身だった。