名匠・阪本順治監督の最新作「せかいのおきく」。4月28日の公開を記念して、発売中の『週刊文春CINEMA!』より、主演をつとめる池松壮亮さんと寛一郎さんの特別対談を抜粋して引用する。
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―この作品はもともとは短編だったとお聞きしましたが?
寛一郎 最初は、黒木華さんのおきくと、僕が扮する中次の話として撮っていたんです。その半年後くらいに長編のプロジェクトが始まり、壮亮さんと合流しました。短編を本編に組み入れることになるなんて予想外でしたが、素晴らしい発想だと思いました。
―人物たちの設定もユニークですね。
池松 中次や僕が演じる矢亮が汚穢屋(おわいや)を生業にしています。かつて宮崎駿監督も「東京汚穢合戦」という企画を構想していたと聞きました。どちらもテーマは「生命や社会の循環の中で排泄物は大切な一部である」というもの。排泄物が肥料になり、実った作物を食べ、また作物の栄養にかわる。そのサイクルの中で世界は成り立ってる。『せかいのおきく』はその循環というものを作品思想に据えた、今伝えるべき映画だなと思いました。
寛一郎 回る、という言葉はキーワードでした。自分の意志とは別に世の中が回っていく、不可抗力に流されたり、撥ねられたり、そうやって中次たちは生きていく。これって僕らの生きてる今もあること。
―黒木さん演じるおきくとのアンサンブルが素敵でした。
寛一郎 中次は生きることに頓着しない青年だったけど、おきくと出会って生きることに執着を覚える。彼女によって恋愛感情の演技以上に導かれていきました。だけど短編の際は声を失っているおきくでしたから、長編の撮影が始まって、喋っているおきくを見て新鮮な驚きを感じましたね。
池松 僕はおきくさんと共演シーンが多いわけではありませんでしたが、声を失った彼女の痛みに触れ、世界のやるせなさを嘆き、自らの生きる態度を模索していきます。若い3人がそうやって反射し合って生きることが、彼の暮らしと、青春となって観ている人に届けば良いなと思います。
寛一郎 濃密な3人の関係性が表現されているのは凄いですよね。