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アイドル志望→漫画家転身の理由

山咲 30年ほど前は加勢大周さん、吉田栄作さん、阿部寛さんみたいな、サラサラな髪にヘインズの白いTシャツかタンクトップにデニム、という男っぽいスタイルが人気の時代でした。

 私はその真逆だったから、オーディションの審査員の方にも「君は来るところ間違えたんじゃないの? 新宿歌舞伎町か二丁目に行ったら?」と言われて。300ぐらいのオーディションを受けて全部落ちてしまったんです。

 それで、たまたまコンビニエンスストアに行ったときに、ホラー漫画の分厚い雑誌がバーッとあるのを見つけるわけですよ。その頃、ホラー漫画雑誌が大ブームになっていて、コンビニの棚に20誌ぐらい並んでいたんですね。それを見たときにふと「もしかして私にも描けないかしら」と思いまして。

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30年前の山咲トオルさん(写真:本人提供)

テレビに出るようになったきっかけ

――いきなり思い立ったんですか?

山咲 私は幼稚園の頃から楳図かずお先生と水木しげる先生の本を買い与えてもらっている変わった子だったので、自分でも怖い絵ばかり描いていたんです。それで新宿三丁目の世界堂さんに行って、漫画の原稿用紙とかGペンとかを買って、1日で20ページの漫画の下書きを描いて、5ページはペン入れをして。

「◯◯賞」みたいなのは待ってられないから、その翌日に編集部に電話して、持ち込みをしたんです。そうしたらすぐにデビューが決まりまして。

――すごいですね。

山咲 2作目から急に読者アンケートでもベスト3に入っちゃって、半年後には巻頭カラーと雑誌の表紙のイラストを描いていました。それが『戦慄!!タコ少女』という漫画だったんですけど。

 それから副編集長に勧められて、顔を出して読者のお悩み相談コーナーをやることになったんですね。私は楳図かずお先生をリスペクトしていてそういうタッチの絵だったので、読者からおじいちゃんが描いていると思われていました。でも私の顔が誌面に出たら、みんな驚いちゃったんですよ。

伝説の代表作『戦慄!!タコ少女』(画像:リィド社公式サイトより)

――そこからどうやってテレビに出るようになったんですか?