「ジョッキーになるしかない」と退路を断たれた日
結局、「辞める」「辞めない」を繰り返すうちに1カ月が経ち、最終的には大井で調教師をしていた伯父が、千葉県白井市にある競馬学校まで僕を説得にくる事態になりました。
静かな会議室で3時間のあいだ、泣きながら「どうしても辞めたい」と訴え続ける僕に匙を投げた伯父は、その場で父に電話をしました。
「ダメだ、こんなやつ。こんな恥さらし、さっさと迎えにきて連れて帰れ。仮に続けたとしても、大したジョッキーになりゃしねぇわ」
伯父がそう言うと、携帯電話から漏れ聞こえてきた1カ月ぶりに聞く父の声。
「そうですか。でも、ウチでももう(将雅は)いらないので。置いてきてください」
そして伯父に「な、聞こえただろ? (辞めるのは)無理なんだよ。お前はここにいるしかねぇんだよ」と言われて、辞めることをあきらめざるを得ませんでした。
電話の父の言葉はあっけないものでしたが、僕は手紙をやり取りするなかで、父のこんな覚悟を知らされていました。
「お前が辞めて帰ってくるなら、俺は調教師を辞める。息子さえまともに育て切れなかった人間が、馬主さんの大事な財産である馬を預かる資格はない。だから、お前が辞めるのであれば、もう調教師は続けられない」
それでも辞めたいと訴え続けた僕ですが、一方で、父がただの脅しでこんなことを言う人間ではないこともわかっていました。
考えてみれば、誰かから「ジョッキーになれ」と言われたわけではなく、自分で選んでここにいる――。
ジョッキーになるしかない。そして、一番を目指すしかない。
そう覚悟を決めた出来事でした。
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