競馬学校時代、わずか10日で「辞める」ことを決意した若かりし頃の川田将雅。そんな彼に届いた、母親の手紙の驚くべき内容とは?

 退路を絶たれ、ジョッキーとして生きる覚悟を決めた時のエピソードを、初の著書『頂への挑戦 負け続けた末につかんだ「勝者」の思考法』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

競馬学校を両親に「辞めたい」と伝えた川田将雅……。当時のことを彼が今も悔やみ続ける理由とは? ©getty

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厳しく、優しくて、不器用だった母の言葉

 ホームシック対策で、最初の1カ月は親に電話をしてはいけないルールだったので、辞めたいことを両親に手紙で伝えました。

 厳しい両親だったので当然ながら、「はい、そうですか」となるはずもなく、しばらく手紙でのやりとりが続きました。

 どうしても辞めたかった僕は、手紙に「辞めさせてもらえないのなら、ここで首を吊って死にます」と書いたのです。

 それに対する母からの返事には、「そこで首を吊って死になさい」と書いてありました。

 後から聞いた話ですが、僕にその返事を出して以降、母はまったく眠れなくなったそうです。

 “もし本当に将雅が死んだら、朝になれば必ず連絡がくる。朝になっても連絡がこないということは、今日も生きているということ──”

 そんなことを日々考えていた母は、目を瞑るのが怖くなったのかもしれません。ただでさえ小食なのに、さらに食事が喉を通らなくなり、夜は夜で一睡もできずに神経ばかりをすり減らす日々。

 この騒動が終わったとき、母の体重は半分ほどになっていました。

 今、振り返ってみても、本当に申し訳ないことをしました。それにしても、母という人は不器用な人間です。