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夢を明確にした上沢投手の背中を押すために

 3月1日、沖縄キャンプを終えたチームは新球場・エスコンフィールド北海道で初めての練習を行った。

 松本剛選手はこう言った。

「新球場構想が出たとき、僕は完成した時にはいられないと思っていたので、ここでプレー出来るという嬉しさが込み上げてくる」

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 建設が正式にチームと北広島市から発表されたのは2018年の11月のことだった。

 その年の松本剛選手は、前年の115試合出場から試合数を半分以下の54にまで落としていた。更に言えば翌年はけがと不振でたった4試合の出場、「新球場には自分はいられない」と思っても不思議のない成績だった。

 でも、「名もなき雑草にも日は当たる」、松本剛選手の好きな言葉通り転機はやってくる。昨年、新庄剛志新監督は松本剛選手を開幕戦から4番に抜擢、シーズンが終われば彼はパ・リーグ首位打者という初のタイトルを手に入れていた。

 オールスター前、左ひざに自打球を当てて骨折、離脱しながらも掴み取ったタイトル。その左ひざはまだ完全ではない。朝起きて今日はこんな感じか、このくらいまでは大丈夫か、とひざと会話する日々だ。

 それもわかっている上で新庄監督は今季のキーマンに松本剛選手の名前を挙げる。3年活躍してこそ本物、新庄監督の言葉に松本剛選手は大きく頷く。今年からは移籍した近藤選手から引き継いで選手会長も務める。

 実はこのポジションに就任するのは昨年の副会長・上沢投手のはずだった。でも夢を明確にした上沢投手の背中を押すために、選手会の経験のない松本剛選手が近藤選手と話して引き継ぐことにした。上沢投手は今年も副会長として松本剛選手を支えることでその気持ちに応える。

 18歳だった同期ふたりが30歳を迎える年度に可能性を信じて前へ前へと進んでいく。ひとりはシーズン後に海を渡るための覚悟を、ひとりは責任を持ってチームを引っ張っていく覚悟を決めた。ふたりの覚悟は硬い。だったら私たちも可能性を信じて覚悟を決めよう。新球場初めての年、シーズンラストに歓喜の輪の中心にいるふたりの笑顔の可能性を信じよう。可能性を信じない生き方を選ぶなんてそんなもったいないこと、私には出来ない。

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