ついにオープンした北海道日本ハムファイターズの新ホームグラウンド「北海道ボールパークFビレッジ」。総工費600億円を投じた同施設完成までには、困難に挑む関係者たちの並々ならぬ努力があった。

 ときには「殺害予告」めいた手紙が届いたことも……。プロジェクト反対派との軋轢を、ノンフィクション作家の鈴木忠平氏の新刊『アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

「北海道ボールパークFビレッジ」誕生までに直面した壁とは ©文藝春秋

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宛名も差出人もない封筒

 前沢賢は札幌市役所まちづくり政策局の浦田洋らとの新年会を終えると、ビルの外に出た。1月の冷気の中を少し歩いてみようと思った。まだ夜は浅く、街は宴の始まりのような溌剌とした活気に満ちていた。腹にデジタル時計をデザインされたテレビ塔が鮮やかな光を放ち、道ゆく人々を見下ろしていた。

 大通の交差点にはオフィスビルのある北側から歓楽街が広がる南へと向かう人たちの列があった。前沢はぼんやりと考え事をしながら信号待ちの最前列に立った。自分の歩調に従っているといつも自然と列の先頭に立っていた。目と鼻の先を車が通り過ぎていく。その瞬間、ふと我に返った。後ろに誰かの気配を感じたのだ。だが振り返っても、背後には見知らぬ人たちの列があるだけだった。前沢は背筋に冷たいものを感じて、思わず列の中ほどへと後退りした。他人に背中を見せることを怖れるようになったのは最近のことだった。

 数週間前、宛名も差出人もない封筒が郵便受けに届いた。不審に思って家族のいないところで封を開いた。中には数枚の便箋が入っていた。取り出してみると、紙片のすべてに隙間なく同じ文言が並んでいた。

札幌市民の不安はやがて怒りに

『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……』

 手紙は紛れもなく自分に宛てられたものだった。その呪詛のような文言に込められているものが何なのかも分かった。前沢には自分が、札幌に住んでいる一部の人々にとって呪うべき存在になっているという自覚があった。

 ボールパーク建設計画が世に出て以降、メディアは連日、札幌市と北広島市の誘致合戦を報じるようになった。北広島市はほとんど手をつけていない32ヘクタールの建設候補地を用意し、向こう10年間の固定資産税減免にも応じる姿勢を示した。それに対して札幌市は地権者や住民、議会などとの意見調整がつかず、候補地の選定もままならない状況だった。メディアの論調は「札幌苦戦」に傾き、市民の不安を煽った。札幌ドームでの野球観戦をライフスタイルとしてきた札幌市民の不安はやがて怒りに変わった。

 なぜ、わざわざホームスタジアムを出ていくのか。

 なぜ、本拠地の札幌を天秤にかけるようなことをするのか。

 その怒りの矛先はホームスタジアム移転を推進する存在として日々紙面に名前が載るファイターズ事業統轄本部の前沢や三谷に向けられた。