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ダチョウ倶楽部に優香…現場で起こっていたこと

©️時事通信社

 また、同じくもう亡くなられたダチョウ倶楽部の上島竜兵さんとの現場も忘れられない。

 おそらく今の30~40代の方にとって、志村さんのコント番組の顔ぶれといえば、女性は優香さん、男性陣はダチョウ倶楽部だろう。優香さんは『Shimura-X天国』(’98年。優香さんが加わったのは'99年)から、ダチョウ倶楽部は『変なおじさんTV』からのレギュラー入りだった(初共演は『志村けんのバカ殿様』)。

優香 ©文藝春秋

 この頃の現場リハーサルでは、優香さんもダチョウ倶楽部もアドリブというか、“このセリフをこう言い換えたい”や“ここでこうズッコケたい”というリクエストが続々と出ていた。それらに志村さんもディレクターも嫌な顔ひとつせず、一個一個真摯に受け止め、“じゃあやってみよう”と一回試してみる。するとディレクターが“今の上島さんのコケ方でいきましょう。優香さんのセリフはやっぱり台本ままで”と、ジャッジ。そうして本番――一発OK! となり、一同笑って次の段取りへ。つまり本番でのアドリブはないのだ。

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 志村さんのコントといえば、アドリブ連発の楽しさと思われがちだが、意外にもアドリブはリハで出し切り、ベストなものをチョイスして完成させる。この源流にあるのは、『全員集合』時代のいかりや長介さんのコントの作り方だ。

あまりに真逆で、でも明らかに弟子…いかりやさんと志村さん

 ドリフのリーダー・いかりやさんは本番放送(収録)まで連日、会議室でドリフメンバーやコント作家たちを交えてコント作りに集中。いつまで経ってもいかりやさんからコントのネタが出ず、ときにはお通夜のように皆で黙りこくって何時間も過ぎることもあったという。そこで練り上げたコントを本番当日、一言一句変えることなく実演するというスタイルだった。

 それに対し、志村さんのコントはアドリブ主体の瞬発力勝負。“面白ければどんどん変える”という臨機応変さにハプニング性も加わる。結果、勢いとスピード感を生み、それが’80年代という次の時代にマッチした。

 一見すると異なるアプローチに見えるこの2人だが、“時間をかけて練り上げたものを本番で完成させる”という意味ではどちらも本質的には変わらない。いかりやさんが会議室で皆の意見を聞きつつひとりでまとめるのに対し、志村さんは現場でひとりひとりの意見を聞き、最終的に演出のプロであるディレクターにジャッジを委ねるというだけの違いだ。志村さんはやはりいかりやさんのお弟子さんだった。

 実際、いかりやさん自身、自著である「だめだこりゃ」(’03年/新潮文庫)で、“志村をリーダーに第2のドリフを作って欲しい”、“笑いに関しては素人のドリフで、志村だけがコメディアンの才能をそなえていたのかもしれない”と、志村さんの実力を認める発言を綴っている。