ザ・ドリフターズのメンバーでピン芸人としても著名な志村けんさんが、新型コロナウイルスに感染して亡くなって3年。その間、生前の志村さんの偉業を讃え、志村さんの生まれ故郷の東村山市の西武線東村山駅前には志村さんの銅像も建てられた。今もこの銅像に会いに、そして献花していく人々が後を絶たないという。

志村けんさん ©️時事通信社

 ’90年代、そんな志村さんには出演番組に“変化”が起きていた。

『8時だョ!全員集合』('69年)が終わり、ザ・ドリフターズが全員揃う番組は『ドリフ大爆笑』だけとなったが、その『大爆笑』も1995年にレギュラー放送が終了。加藤茶さんとMCを務めた『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(’86年)も終わったあと、志村さんは冠番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』に出演し続けた。

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 それも’93年には一旦幕を閉じる(’07年に単発スペシャルとして復活)。以後、“だいじょうぶだぁファミリー”と呼ばれるメンバーで『志村けんはいかがでしょう』(’93年)、『志村けんのオレがナニしたのョ?』(’95年)、『けんちゃんのオーマイゴッド!』(’96年)と、ゴールデンタイムでの番組が続くが、’96年の『Shimura-X』より深夜帯に移動。『CHA2KEN-TV』(’97年)、『変なおじさんTV』(2000年)、『志村流』(’02年)と継続していく。

 だが、ゴールデンタイムから番組が消えたことで“志村けん死亡説”という都市伝説が流布。『Shimura-X』の取材に入っていた筆者などは「志村さんはここにいるのに……?」と、不思議に思ったものだ。

「なんだこのデブ!」「なにをこのハゲ!」

 このころの志村さんの現場で思い出すのは、番組共演者たちと志村さんの独特の関係性だ。

 たとえば、『Shimura-X』の現場では、昨秋、早逝した俳優の渡辺徹さんとの絶妙なコンビネーションと仲の良さが印象的だった。リハーサルの最中も定番のように「なんだこのデブ!」、「なにをこのハゲ!」とアドリブ(?)で掛け合っては二人で笑い合う様はじつに微笑ましく、コント以外でも名コンビぶりを発揮していた。

 楽屋ではよく二人で将棋を指していたそうで、渡辺さんがかなりの腕前だったため毎回勝負が長引き、それ待ちで収録が押すこともあったとか。その都度、お弟子さんの乾き亭げそ太郎さんがスタッフから「ちゃんとしろよ!」と叱られたそうでお気の毒だったが、リハーサル中のアドリブ会話だけでも充分お二人の親密具合がうかがえた。