独立リーグから「高卒1年でのNPB入り」へ
一方で、湯浅はプロ野球への人一倍強い情熱を秘めていた。大学進学も検討したが、最終的に「NPBに最短1年で行ける独立リーグに行く」と決意し、2018年、当時BCリーグ所属の富山GRNサンダーバーズにドラフト1位で入団する。
そして富山に入団した湯浅に、運命的な出会いが待っていた。かつてヤクルトで高速スライダーで球界を沸かせた「伝説の投手」であり、引退後に同球団の投手コーチを14年間務め、この年富山の監督に就任した伊藤智仁氏(現ヤクルトスワローズ一軍投手コーチ)だ。
当時チームメイトだった古村徹氏(元横浜)はこう振り返る。
「その年の夏、湯浅選手を西武の渡辺久信シニアディレクター(当時)が直々に見学しに来た試合があったんですが、そこで彼は結果を残せなかった。すると、伊藤監督と2人だけの『ミニキャンプ』がその直後に始まりました。それ以降、伊藤監督はもう湯浅にずっとつきっきりで指導していましたね」
伊藤監督との二人三脚の練習は、フィジカルトレーニングからピッチングフォームの修正まで多岐にわたり、湯浅の球威と制球力は目に見えて向上していった。そしてその年の最終登板となった9月17日のプレーオフ、湯浅の球速は151キロを記録した。試合には敗れたものの、集まったNPBのスカウトに強烈な印象を与え、同年のドラフトで阪神から6位指名を獲得。前年に決意した通り、高卒1年でのNPB入りを果たしたのだった。
ブルペンではいいのに…二軍降格後の覚醒
念願のNPB入りだったが、入団後の2年間は腰椎分離症に苦しむ日々を送る。怪我が癒えた2021年に一軍昇格を果たすも、複数失点を喫する試合が続き出場登録抹消に。昨年まで阪神の一軍投手コーチを務めた金村曉氏が語る。