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〈WBC戦士秘話〉高校時代は5番手、独立リーグに進んだ湯浅京己を待っていた「伝説の投手」《秘蔵写真》

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「ブルペンではいい球を投げていたのに、試合で気持ちをコントロールできなくて、力んでボール先行になり、カウントを取りに行った球を打たれることが続いていました。だから、5割の力で投げる練習を毎日しなさいと指導したんです」

 二軍降格後も湯浅はこの練習を実践。シーズン後の秋季練習では「気持ちと身体をうまく制御できるようになり、見違えるほど制球がよくなっていた」(同前)という。

 翌2022年は覚醒の年となった。キャンプから好調を維持し、“勝利の方程式”に抜擢。シーズンを通してセットアッパーを務め、45ホールドポイントを挙げ最優秀中継ぎ投手賞を受賞した。

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「普段は優しい子なのに、勝負師の顔がある」

 剛球が魅力の湯浅だが、もう1つ大きな強みがあると言う。金村氏は、昨季のある試合が特に印象的だったと語る。

「昨年7月1日、アリエル・マルティネス(中日)に決勝ツーランを打たれて負けた試合です。試合後は悔し泣きしていましたが、翌日、『今日も同じバッターで行くからな』って言ったら、凄く強い言葉で『行かせてください!』と返ってきた。それで前日に打たれたのと同じ高めの直球で、今度はマルティネスを三振に切って取ってリベンジした。普段は優しい子なのに、そういうマウンド度胸、勝負師の顔があるんです。独立リーグ出身で苦労を知るからこその、胆力があるんでしょう。今後は阪神の新守護神に育っていってほしいですし、WBCでも本当に、いいところで投げてほしいですね」

ラケットを使った練習。「富山時代も、伊藤監督の指示でバドミントンのラケットを使って練習していました」(古村徹氏)

 かつて打撃投手を務めた高3の夏、湯浅は「自分みたいなピッチャー打てないんなら、試合でも打てないぞ」とチームメイトに発破をかけていたという。だが今の彼には、「誰にも打たれない」という最強リリーバーの矜持が漲っているに違いない。

写真提供 富山GRNサンダーバーズ/時事通信

湯浅京己 Atsuki Yuasa 1999年7月17日、三重県生まれ。19年に阪神タイガースに入団。プロ4年目の昨季、59登板で45ホールドポイント、防御率1.09の好成績を残し、最優秀中継ぎ投手賞と新人特別賞を受賞した

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