――そのひとまず安定した生活も束の間、お2人が33歳の時にムツゴロウさんが出版社を退社され、36歳の時には北海道の無人島・嶮暮帰(けんぼっき)島へ移住と、“ムツゴロウ”としての生活がいよいよ始まっていきます。
純子 会社を辞める時も、無人島に移住する時も特に相談は受けませんでした。さすがに移住する時は「あんた、行きたくなければついて来なくてもいいんだよ」と言われたんですけど、私は置いていかれるのは嫌だったので「地の果てでもどこでもついて行く」と言い返しました。嶮暮帰島では手作りの小屋を建てて、親子3人と小熊と犬5頭のロウソク生活。食料は船で買いに行き、冬はマイナス20度以上まで冷え込むので犬に温めてもらいながら一緒に寝ていました。それでも、すべてが新鮮で楽しい1年間でした。
――娘さんは東京にいた頃は虫にも怯えていたと言いますが、そんな過酷な無人島には適応できたんですか?
純子 娘は最初は東京に帰りたいと泣いたこともあったけど、すぐに適応したように見えました。今でも嶮暮帰島で暮らした1年を「自分の人生の中で素晴らしい1年だった」って言っています。
畑は街で小さいお子さんを見ると可愛がりたくてしょうがない人なんですけど、自分の子供に対してはベタ可愛がりするというわけでもありませんでした。「子どもには何よりも触れ合いが大切だ」と言って、馬や犬など多くの動物と触れ合わせて、畑が勉強を教えることも一切ありませんでした。
ムツゴロウ 特別な子育てが必要だなんて思ったことないですからね。人間の子供も動物と一緒で、遊ぶことで命の大切さを学んでいきます。小学校の高学年くらいまでは好きなだけ暴れさせて、取っ組み合いのケンカをしたり、踊りたければ踊ればいい。笑いたければ笑えばいい。それが子育てじゃないですか。
「まるで宇宙人のようで、何をしでかすがわからないところが彼の魅力」
――教育方針や突然の無人島への移住などで、喧嘩になったり純子さんが許せなかったことはあるんですか?
純子 全部受け入れてきましたから、そういう風に思ったことはないですね。畑のことは尊敬しているので、この人が選ぶことは間違いないだろうと思っているんです。
――そうして、ムツゴロウさんの選択を純子さんは隣で見続けてきたのですね。
純子 中学生からずっと畑を見ていますが、飽きないんですよ。まるで宇宙人のようで、何をしでかすかわからないところが彼の魅力です。畑はずっと忙しかったので夫婦の時間は皆さんよりも短いかもしれませんが、私は一緒にいられてとても幸せです。今は無理はできませんが、いつか畑と2人でほとんど行ったことのない東北や日本海へ穏やかな旅をしてみたいですね。
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