「僕はね、動物でも人間でも命と付きあっていると、互いに何か伝わるものがあるんじゃないかと思っているんですよ。自分のありのままの命とも、もう少し付きあってみようと思ってます」

 2021年11月に文春オンラインに掲載したインタビューで、ムツゴロウさんこと畑正憲さんは“死”についての質問にこう答えていた。

亡くなる1年半前、ロングインタビューに答えるムツゴロウさん Ⓒ文藝春秋 撮影・鈴木七絵

 2023年4月5日、畑さんは自宅で倒れ病院へ緊急搬送され、心筋梗塞により亡くなった。取材当時、「死」について考えることが増えていたと語っていた畑さん。突然の訃報に日本中から驚きと悲しみの声が広がっている。

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 ムツゴロウさんは1935年福岡市で生まれた。33歳の時に執筆した「われら動物みな兄弟」が注目され、本格的な執筆活動にはいる。37歳の時に北海道の浜中町に「動物王国」を建国し、動物との交流を描いたエッセイの執筆を始める。

「名エッセイストとしていくつもの賞を受賞していたムツゴロウさんでしたが、その名をお茶の間に広めたのは1980年から放送が始まった『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』でした。世界各国を飛び回り、動物とふれあうムツゴロウさんの姿にお茶の間の視聴者は夢中になり、平均視聴率は20%を超えました」(テレビ局関係者)

「僕が阿佐田さんに負けたという記録はどこかに残っていますか?」

 動物好きな印象が強いムツゴロウさんだったが、根っからのギャンブル好きでもあった。2021年に公開したインタビューでは、雀聖として知られる作家の阿佐田哲也氏との交流や競馬への愛を語っていた。

1983年頃、40代のムツゴロウさん

 北海道・中標津のログハウスでインタビューに臨んだ記者はその日のことをこう振り返る。

「一番ムツゴロウさんがイキイキとしゃべっていたのは競馬のエピソードでした。ご自身も草競馬でジョッキーをやっていたのですが、負けた時のことを『くぅ~、悔しい!』と話す表情は少年のようでした。相当なギャンブル好きかつ負けず嫌いで『僕が阿佐田さんに負けたという記録はどこかに残っていますか?』なんて話していました。その時、阿佐田さんに勝って書かせたという借用書も見せてくれましたよ」