「ムツゴロウさん」こと畑正憲さんが6日、87歳で亡くなった。北海道の自宅で倒れ、搬送先の病院で死去したという。
1980年に放送が始まった「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」は大人気番組となり、多くの動物番組の“元祖”となった。ムツゴロウさんが最後まで暮らした中標津のログハウスでのロングインタビューを再公開する(初出 2021年11月11日、年齢、肩書き等は当時のまま)。
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ライオン、オオカミ、ワニなど世界中の猛獣から大型犬に子猫まで、ムツゴロウさんと触れ合った動物たちは不思議と心を開いていく。1980年に始まった「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」(フジテレビ系)は最高視聴率30.2%を記録し、生きた野生動物の姿を多くの日本人が知るきっかけになった。
しかし相手は本物の野生動物たち。ゾウなどと触れ合ってムツゴロウさんが怪我することも一度や二度ではなく、2000年にはブラジルでライオンに右手中指を食いちぎられている。
一見するとほのぼのした動物番組である「ゆかいな仲間たち」を支えていた、ムツゴロウさんのストイックすぎる撮影哲学。その現場で起きていた出来事を、ムツゴロウさんは楽しそうに語りだした。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
一番怖かったのは「やっぱり人間」
――21年間続いた「ゆかいな仲間たち」の中で、特に印象に残っているものはありますか?
ムツゴロウ 一番怖かったのはやっぱり人間ですね。1982年頃、ライオンやゾウに会いに南アフリカのケープタウンへ行った時でした。ホテルの向かいにある銀行へ両替に行こうと思ってホテルのスタッフに治安を聞いたら「ダイジョウブ、ダイジョウブ」という答え。それで出かけたら、あっという間に屈強な6人組に囲まれました。
――南アフリカの治安について「ダイジョウブ」というイメージはありませんね……。
ムツゴロウ 僕らを囲んだ6人組はみんなナイフを持っていました。でもよく見ると、自分にナイフを突きつけている毛深い手が、ブルブル震えてるんですよ。それで僕は、男たちにわからないように日本語で同行者と「やってやろう。ケガしたらその時だ」と相談して、1、2、3とタイミングを合わせて大声で「コノヤローーー!」って叫んだんです。そしたら向こうが逃げました(笑)。
――良い子には真似してほしくない対応です(笑)。
ムツゴロウ でもね、一緒に囲まれたプロデュ―サーが車で犯人を捜してやるって怒ってたんですけど、それは止めたんです。生まれた国は貧富の差が激しくて、そこへ僕らみたいなのが来たら襲う気持ちだってわかるから。それに僕らが警察に通報したら、彼らはその国でさらに生きづらくなってしまうでしょう。