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クマにひっかかれ頭の皮がペロッと剝がれても山刀で返り討ちに…“伝説のマタギ”たちのヤバい“狩猟技術”

『マタギ 日本の伝統狩人探訪記』より #2

2021/10/17

 秋田県北秋田市根子(ねっこ)。令和3年4月1日時点で56世帯120人が暮らす小さな農村は、阿仁(あに)マタギ発祥の地として知られる地域だ。現在、同地でマタギを専業とする者はいないが、この地でかつて暮らしていたマタギたちの伝説はいまも語り継がれている。

 ここでは、動物文学の第一人者・戸川幸夫氏が昭和20~30年代に秋田県の阿仁マタギに密着した『マタギ 日本の伝統狩人探訪記』(山と溪谷社)の一部を抜粋。驚異の狩猟技術で、その名を轟かせていた伝説のマタギたちについて紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

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一発の弾丸で3頭のクマを仕とめた15歳の竹五郎

 根子に幕末のころ村田竹五郎という名マタギがいた。12歳で既に一人前のマタギに伍して山入りをしていたという。15歳で元服(編集部注:成人として認められるために行う通過儀礼)したが、その年に彼は一発の弾丸で3頭のクマを射とめている。そのころの鉄砲は火縄銃だったから一発射てばすぐには射てない。だから彼は3頭のクマが遊んでいるのを発見したときすぐには射たないで、3頭が彼の方から見て一直線上に重なるのをじっと待った。3頭を重ね射ちにするつもりで火薬の量も多くした。とても15歳の少年とは思えない大胆さである。そしてとうとう3頭を仕とめた。後に彼はマタギの王といわれるほどになった。

根子/狭い田ではあるがよく拓かれ、村人の勤強さが物語る('55年8月)

 戌辰の役のとき、久保田(秋田)の佐竹藩は奥羽列藩同盟からはなれて官軍側についたというので、周囲から総攻撃をくった。このとき秋田のマタギたちは新組隊というゲリラ隊を組織して、日ごろ世話になっている秋田藩のために闘った。

 竹五郎も大いに奮戦したが、彼は射ってはねころんで弾丸をつめ、つめては起き上がって射つという射撃をした。それがまるで連発銃を発射しているように速かったという。