文春オンライン
クマにひっかかれ頭の皮がペロッと剝がれても山刀で返り討ちに…“伝説のマタギ”たちのヤバい“狩猟技術”

クマにひっかかれ頭の皮がペロッと剝がれても山刀で返り討ちに…“伝説のマタギ”たちのヤバい“狩猟技術”

『マタギ 日本の伝統狩人探訪記』より #2

2021/10/17
note

「疾風の長十郎」「勢子の乙吉」

 山田長吉さんの祖父にあたる山田長十郎は疾風の長十郎といわれるほど足が速かった。戊辰の役のときに沢為量(ためかず)卿の命をうけて根子から久保田(秋田)城まで半日で往復した。途中に二つの山岳があり、直線にしても片道7、80キロある。まるで天狗が飛んでいるようで、途中で出あった木樵が妖怪だと怖れたという話が遺っている。長吉さんの話だと、70幾歳の老齢になってからでも平気で山に登り、野宿してきたそうで、凍りついた絶壁などを金カンジキをはいて木の枝の先を尖らした杖を手に、スキーの直滑降のようにすべってゆくと雪煙りで姿が見えなかったという。

根子/(雪は一夜にして1mも積もることがある。さすが北国の山里だ('57年1月)

 勢子(編集部注:狩猟において獲物を射手の元に追い込んだり、獲物以外の野生動物を追い出したりする役割)の乙吉は、それ以前の人だった。射撃は下手だが勢子としての追い出しにかけては名人で、まるでマタギ犬のようだった。彼は待ち構えている射ち手に、獲物を追い出すとは言わなかった。

「ここサ、つれてくるから待ってろ」

ADVERTISEMENT

 と言った。待っていろと乙吉が指定した場所に必ず獲物が追われてきたという。後に旅先の娘に惚れられて、婿となってそこにいつき、根子には戻ってこなかった。

私が知り合った名人たち

 私が知りあったマタギの中にも名人級の人はいた。

 根子の佐藤富松さん(故人)もその一人だ。念入り佐市と同型の人で、クマを見ても決して驚かない。ゆっくり観察したあとで射つ。70歳ぐらいのとき単身ふらりと出かけてはクマを仕とめて帰ってきた。打当(編集部注:秋田県北秋田市の地名)の鈴木松治さんはおとなしい人だが、頭射ちの名人で、彼の獲ったクマはどれも頭を貫通している。村田銃を片手にもって、ロープにぶら下がりながら、崖の中腹に牙をむいていた大クマを仕とめたこともある。

 仙北マタギの藤沢佐太治さんはクマとりサン公の名で呼ばれている。彼も名人マタギの一人で、彼がゆくところにクマの方から寄ってくる、といわれるほどクマの習性に通じている。これまで60数頭のクマを仕とめているが、一度も危い目に遭ってない。彼の説によると、

「クマと格闘したりして重傷を負いながら相手を仕とめるのは、ちょっと聞くといかにも勇ましいようだが、クマとりとしては上手なほうではないすべ。本当に上手だら射ちはずしはしないもんです」

 ということになる。彼は今日も健在だが、老齢のため山入りはやめたと聞いている。