さまざまな創作物で取り上げられた影響もあり、「マタギ」という言葉は人口に膾炙した。しかし、かつて実在したマタギたちの“本当の姿”はいまだあまり知られていない。彼らはどのように日常生活を過ごし、狩りを行っていたのだろう。

 ここでは、動物文学の第一人者として数々の著作を遺した戸川幸夫氏による『マタギ 日本の伝統狩人探訪記』(山と溪谷社)の一部を抜粋。マタギたちとともに雪深い山に入った際のもようを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む

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マタギを追って

 マタギたちにとって、やはり一番意義があるのは早春から晩春にかけての雪山であろう。峰々を重く、厚く閉じこめていたネズミ色の雪雲に破れが生じ、陽の光もなんとなく柔らかみを帯びてくる。沢々には雪崩の轟音が響きはじめる。

木の幹につけられたクマのカガリ

 雪は次第に汚れ、厚い層の下からは氷水がトンネルを穿って、ほとばしりはじめる。フキの薹だのベコノシタ(ミズバショウ)が芽を出してくる。そのころになるとクマが冬眠の穴から出るからだ。秋田マタギの獲物は、昔はクマ、アオ(カモシカ)、サル、テン、バンドリ(ムササビ)などが主なもので、たまにイノシシ、シカ、カワウソなども獲っていた。しかし今日(編集部注:新潮社より1958年に初版が発刊された頃)ではカモシカとサルは天然記念物として保護され、禁狩猟獣となっているし、イノシシ、カワウソなどはこの地方からは姿を消してしまった。ムササビ、テンの毛皮の値は下落した。そこで狩猟といえばクマだけになってしまった。もっとも旧藩時代でもクマはマタギの第一狩猟獣ではあった。

 クマを狩る季節は晩秋から初冬にかけての、冬眠前と、冬眠からさめて雪渓を歩き始める(これを出遊びという)早春から晩春にかけてで、前のをアキグマ狩り、後のをハルグマ狩りという。アキグマは、冬眠に備えてクマたちが山林の木の実を喰べあさるのを、忍んでいって射つことが間々あるが、ハルグマは勢子(編集部注:狩猟において獲物を射手の元に追い込んだり、獲物以外の野生動物を追い出したりする役割)をつかって巻いて仕とめることがほとんどで、普通クマ狩りというのは、このほうで、豪快である。

朝日岳連峰へ

 私は仙北マタギの人たちに連れられて幾度か朝日岳や白岩岳に狩りをした。朝日岳という名の高山は日本中にたくさんあり、奥羽にもいくつかあるが、この朝日は磐梯朝日国立公園の朝日連峰ではなくて、秋田、岩手県境に聳える1375メートルの朝日岳である。北に駒ヶ岳(1637メートル)を主峰とする烏帽子岳、笊森、湯ノ森、笹森、五番森の連峰をひかえ、北西に日本一の深い湖といわれる田沢湖を抱き、角館町の真東に聳える連峰で、モッコ、朝日、阿弥陀、薬師、甲、高下、白岩、小滝と一連の峻嶮(しゅんけん)な、岩嵓(がんくら)の多い山岳の集団である。