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「さあ、いくべ」「無理するこたぁねえシャ」動物文学作家が同行した“マタギ”の狩猟…野営地で過ごした一晩の出来事

「さあ、いくべ」「無理するこたぁねえシャ」動物文学作家が同行した“マタギ”の狩猟…野営地で過ごした一晩の出来事

『マタギ 日本の伝統狩人探訪記』より #1

2021/10/17
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 御承知のように東北地方には日本アルプスのように雄大な高山はないが、緯度の関係で雪が深く、気候が悪く、地理的に開けていないので案外に嶮しい。ことにクマだのサルだの、カモシカだのが棲息する山は非常に嶮岨(けんそ)なのが普通で、朝日岳連峰もそういう地域である。

 この一帯に現在棲息する主な野生動物といえば、クマ、カモシカ、テン、キツネ、タヌキ(ムジナ)、アナグマ(マミ)、ムササビ、イヌワシ、クマタカ、ノリスなどで、サルは昭和13、4年ごろまでいたが、最近は姿を見せないという。

 名人マタギの一人、クマとりサン公君の話──。

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「まだサルを獲ってもかまわなかった若いころに何十という群が雪渓の上を渡るのを見つけて片っぱしから転がしたことがあった。鼻猿(はなさき)といって先導役のサルを射たずに通すと、後のサルはばかなもんでいくら射撃を加えられても鼻猿に続いて強行突破しようとしてシャ。だから昔から鼻猿は射つもんでないと言ったもんでシャ」

冬眠からさめたばかりのクマを狙う

 木が根開きするとクマが出はじめるとマタギは言う、太陽熱がまず樹の根に集まって、そこから雪が溶けはじめる。これを根開きというが、このころになるとクマの好物の甲虫類が、樹皮の下から這い出してくるのだ。

 冬眠中のクマの胆(い)は太いので、マタギたちは根開き前にクマを獲ろうとして穴を捜して山に登る。

 巻狩り(編集部注:狩場を多人数で取り囲み、獲物を追いつめて射止める大規模な狩猟)までには、何回かの偵察登山が行われる。そして雪の上につけられた足跡(アンプケトという)を見ていよいよクマが穴から出たことが確認されると、雪が消えないうちに巻狩りを行う。

 雪が消えると、足跡が見つけにくくなることと、クマの動きが活発になるからだ。

 冬眠からさめたばかりのクマは、やはり寝起きの人間のようにぼんやりしているから射ちやすいのである。

待ちに待ったその瞬間! 冷静そのものだ

マタギ精神と伝統

 現在のクマ狩りは昔とはだいぶ違ってきたが、それでもマタギ精神と伝統はそのまま生かされている。

 昔ならシカリ(指揮者)に引率されて山神社に詣でたあと、穴入れの御神酒をいただいて、水垢離(みずごり/神仏に祈願する際に行う冷水を浴びる行為)をとり、山に出発したものであるが、いまはシカリの、

「さあ、いくべ」

 という掛け声で出発する。荷物担ぎも民主化されて古いマタギも、若いマタギも一様に重量を分けあって各自が背負う。鉄砲がよくなっているので槍などは持参しないが、藪を切り払ったり、万一のときのために山刀は各自が腰につけている。そのほか設営のために鋸だとか、鉈は持参する。雪を歩くために雪篦(こなぎ)を持つ、こういったことは昔のままだ。環カンジキや金カンジキも持つ。死火産火の忌みも今日では問題にするものもなく、狩衣もスキーズボンや、防水したアノラックだ。犬の皮だけは昔の慣習に従って背負う。慣習というよりも実際に必要だからで、以前だとカモシカ皮を使ったものだ。カモシカの毛皮は温くて、水に湿らないから雪山では最上とされていたが、カモシカが特別天然記念物になって捕獲が禁止されて以来、この毛皮を着ていたら警察に痛くない腹を探られるので、いまはマタギたちはいずれも秋田犬の皮を使用するようになった。かえって都会から来る登山者やハンターたちの方がカモシカの腰皮などを用いている。