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「無理するこたぁねえシャ。この辺サ、すまる(寝る)べ」

 私が小滝沢の雪洞に宿営したのは昭和37年の1月のことだった。このときのシカリはクマとりサン公君こと、仙北マタギの藤沢佐太治さんで、参謀役は仙北長野町に住む黄金のコイの研究家、高橋武次郎さん(故人)だった。

 その日は、もっと上まで登って設営する予定だったが、山が荒れててどうにも登れない。昔ならサン公君がオコゼをとり出して、唱え言葉を言うところだろうが、彼はあっさり、

「無理するこたぁねえシャ。この辺サ、すまる(寝る)べ」

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 と言った。しかし、雪洞を作る場所については、念入りに調べて、雪崩のこないと見きわめのついた川岸に場所を定めた。彼の命令で、若いマタギが3人交替で、スコップをふるった。

 マタギたちの野営地設営はすばやい。ぐずぐずしていたら日が暮れてくる。山の夜は早く、そして真の闇になるからだ。

 一同は分業でてきぱきと働いた。一隊は木を伐って枝を払い、たちまち柱と梁を作った。他の一隊は火を起こした。そしてさらに他の一隊は鉄砲を持って、食糧を探しにでかけた。私たち都会から参加した者も、なにか手伝うことはないかと思ったが、かえって足手まといになるので、黙って見ているしかなかった。

火起こしの技術

 マタギの火起こしの技術は天下一品である。私は幾度もこれをまねて、そのたびに失敗した。彼らはどんな雨の中でも、吹雪の中でもちゃんと火を起こす。これができないようではマタギとしての資格はないのだろう。

 例えば雪の中で火を起こすとき、彼らはこうする。かなり大きな木を伐り倒し、それを1メートルぐらいに切って並べる。その上に油っ気の多い白樺の皮や、タモの皮を敷き、さらにその上に小枝を置く。立ち枯れた木を割って、湿っていない内側を削って白樺の皮の上に置き、火をつける。火が起こると一抱えも二抱えもあるような大木を立てかけてどんどんと燃やす。一昼夜でも二昼夜でも、野営している間中燃やし続ける。こんな豪勢な焚き火は私はほかでは見たことがない。しかし、山火事になることを極度に警戒しているから他に燃えうつるようなところではしない。火はばりばりと燃えさかり、雪穴を穿ち、終いには黒々と大地が現われる。燠(おき)がカッカッと起こる。そのころには、もう5、6坪大に雪洞が掘れている。深さは2メートルぐらいだ。柱をたて、梁を渡し、持参したタバコ苗畑用のビニール布が張られる。周囲を、風が侵入しないように雪レンガで固め、別に出入り口を雪壁に穿つ。