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僕は“正義の味方”になりたかった…涙の初セーブ、日本ハム・田中正義が“本当の自分”を見せた日

文春野球コラム ペナントレース2023

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 4月21日の楽天戦を忘れることができない。舞台は仙台。先発は加藤貴之vs田中将大、エスコン開幕戦の再現だった。

 5回表、奈良間大己のタイムリー3ベースを皮切りに、敵失と集中打で一気に7点取って逆転、これはもらったと小躍りしていたのである。スコアは7対1。セーフティリードだ。フツーに考えたら負けるわけない。敵地の楽天戦はこてんぱんにやられるイメージばかりあるけど、今日は珍しくビッグイニングをつくった。ファイターズは目下、最下位低迷中だけど、こういう試合が浮上のきっかけになるのかもしれない。何より二死満塁で4番、野村佑希の走者一掃2ベースが飛び出したことが大きい。これは「開幕戦のやり直し」だ。加藤貴には完投勝ちしてもらって、遅ればせながら今季のチームスローガン「新時代」を始めようか。

 などとノンキなことを考えていたのだ。

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 その裏、満塁をつくられ、サクッと3点返された。スコア7対4。おやおやと思ったが、まだ3点差ある。加藤貴は5回1/3で降板したけど、継投で踏ん張って、とにかく今季のエース格に勝ちをつけることだ。「4番が打って、エースが勝つ」試合が今のファイターズには何よりの妙薬だ。と思ってたら楽天がジワジワ迫ってきて、スコア7対6、セーフティリードどころかわずか1点差で9回裏を迎えたのだ。

笑みが張り付いて取れなくなってしまったような田中正義の姿が忘れられない

 マウンドには田中正義が上がった。僕はてっきり石川直也だと思っていたから、「え、大丈夫かな?」ととっさに考えた。この時点で僕はまだ石川直也の「左内転筋痛」、清宮幸太郎の「左脇腹痛」の戦線離脱を知らない。石川はトミー・ジョン手術明けの試運転を終え、今季はクローザーとして期待されていた。まだチームの勝ち試合が少ないから大車輪の働きとはいかないが、十分な実績がある。一方、田中正義はファイターズにやってきて、セットアッパーに活路を見出したばかりだ。まだ経験も浅く、これから仕事を重ねて自信をつけていくところだ。何か考えあっての起用だろうが、勢いづいてる楽天打線をせき止められるだろうか。先頭打者をねじ伏せればあっさり三者凡退もあるだろうけど。

 そうしたら先頭、浅村栄斗にいきなりセンターへ弾き返された。嫌な予感。フランコヒット。太田光のバントは田中正義がファーストに送球ミスしてしまい、無死満塁。絶体絶命のピンチだ。ワンヒットでサヨナラ、バッテリーエラーでも同点の場面。ブルペンにはたぶん田中以上に三振が取れそうな投手がいないのだろう。交代はなし。続く西川遥輝ヒットで同点、山崎剛はライトの頭を越して劇的サヨナラ。何と7対1から試合をひっくり返された。この僕がテレビを叩き切った。僕は気が長いほうだと思うけどね。「ぬわああああーっ」なんて叫んでソファに倒れ込んだ。どん底だ。7対1になっても勝てない。

 しばらくソファで脱力していたのである。クッションとクッションの切れ目のところに鼻をこう押し込んで、頭の上は別のクッションで覆って逃避行動。外界を遮断し、自分の心を守りたかった。ファイターズは年に一度くらいこういう手酷い大逆転を食らう。そのたび、僕らファンは穴があったら入りたい気持ちになり、実際にクッションとクッションの切れ目のところに鼻を押し込んでみたりするのだ。

 田中正義はとうとう1アウトも取れなかったんだなぁと思った。まったく仕事ができなかった。楽天打線の勢いに呑まれたとも言えるけれど、勢いに呑まれてちゃクローザーは務まらない。打ち込まれて、笑みがこわばっていた。あぁ、田中正義は無死満塁、サヨナラ負けのピンチになっても笑みを絶やさないんだと驚いた。

 報道によると彼は力んでしまうタイプで、力を抜くためマウンドで笑みを浮かべることにしているらしい。相撲の稀勢の里(現・二所ノ関親方)を連想した。大関時代、実力的には白鵬に勝つこともある一方、プレッシャーのかかる一番に弱かった。で、笑みを浮かべることにしたのだ。大一番の前、土俵下で微笑む稀勢の里は不安げに見えてとても心配だった。呼び出しを受けても笑っている。そんなに心理的に追い詰められているのかとハラハラした。まぁ、運動競技は力を最大化する直前、力を抜いてリラックスしていないといけない。理屈はわかるのだ。わかるけれど、笑みが張り付いて取れなくなってしまったような田中正義の姿が忘れられない。

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