長い拘置所生活と死刑への恐怖で「拘禁反応」…ようやくドライブにも
2014年7月、姉・ひで子さんの家で暮らし始めていた袴田さんを取材した。
記者:
こんにちは、巌さん
袴田巌さん:
(記者に)面会謝絶で終わったことだからね、来ないでくださいね
畳の上に寝そべっていた袴田さん。
長い拘置所生活と死刑への恐怖で、正常な状態でいられなくなっていた。「拘禁反応」だ。そのあと、家の中で歩き続けていた。
袴田ひで子さん:
48年間の拘置所生活ですからね、こっちに帰ってきてから、こっちの生活に(すぐに)馴染むわけにはいかない。刑務所にいた時のまんまを、本人がやるようにさせようと思って、そうやって生活していました。初めはあくびもしなかったですよ。直立不動みたいに寝ていて、朝、ばかに静かだから死んじゃいないかと頭撫でてみたり。それが、だんだんあくびするようになったし、寝返りもうつようになりました
塀の外での暮らしに徐々に慣れてきた袴田さん。しかし再審開始の決定から4年が経った2018年、東京高裁はその開始決定を取り消しに。
2020年には、最高裁が東京高裁に審理を差し戻した。袴田さんの肩書は「死刑囚」のまま。2023年3月で釈放から9年、10日には87歳の誕生日を迎えた。
支援者らが集まって誕生日を祝う会が催され、手袋をプレゼントされた。
袴田巌さん:
手袋は手を温めるということなんだが、冬場は欲しいもんだね
姉のひで子さんはどんな存在かと聞かれると…。
袴田巌さん:
姉ということじゃね、こき使うわけにもいかねぇ
笑いを誘う場面もあった。拘禁反応が完全になくなったとは言えないが、支援者の手も借りながら、袴田さんは穏やかに暮らしている。
釈放時は「連行されること」を意識して、車に乗るのを嫌がっていたが、今はドライブで遠くに行くのが日課だ。
再審開始が決定…姉「何分の1かでも取り戻せるような生活したい」
差し戻し審での争点は、1年2か月味噌に漬けられていた「犯行時の着衣」とされる「5点の衣類」の血痕の色だ。