57年前の1966年、現在の静岡市清水区で、一家4人が殺害された「袴田事件」について3月13日、東京高裁は、死刑が確定した袴田巌さんを「犯人と認定することはできない」と判断し、裁判のやり直しを認める決定をした。決定の3日後、袴田さんをずっと支え続けてきた姉のひで子さんに話を聞いた。

1度は死刑確定も…逮捕から57年「袴田事件」の再審開始認める決定

 

冷たい雨が止んだ2023年3月13日午後2時、東京高裁は、「袴田事件」の再審開始を認める決定をした。

 

袴田巌さんの姉・ひで子さん:
うれしい、ただうれしい!

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強盗殺人罪などで死刑が確定していた、袴田巌さん(87)の姉・ひで子さん(90)。

 

弟の逮捕から57年、静岡地裁の再審開始決定から一緒に生活をして9年、90歳になった。

 

3月16日、ひで子さんに話を聞くことができた。

Q.巌さんに説明は?

袴田ひで子さん:
(弟の巌さんには)再審開始になったことは言わないでいたの。表情は全然ない、ただ黙って聞いているだけ。そうしたら巌に裁判所から決定書が届いたの。これは巌に見せたほうがいいと思って、巌に見せて、「再審開始になったよ」って説明した。だけど本人は無表情で、うれしくもなく悲しくもなくという感じでした。やっぱりそれだけ落ち着いていたのかな

 

1966年、静岡市清水区の味噌製造会社の専務宅で一家4人が殺害された、いわゆる「袴田事件」。

 

従業員で、元プロボクサーだった袴田さんは、長時間にわたる取り調べの末に自白したが、裁判では一貫して無罪を主張した。

 

しかし事件から1年2か月後、味噌のタンクから5点の衣類が見つかり、袴田さんの「犯行時の着衣」と認定。

 

1980年、死刑が確定した。

 

その後、再審請求を続けること約30年。2度目の再審請求(2008年申し立て)で、衣類のカラー写真など約600点にも上る証拠を静岡地検が新たに開示し、事態は大きく動いた。

 

2014年、静岡地裁は「捜査機関が重要な証拠を捏造した可能性がある」として再審開始を決定。袴田さんは、47年と7か月ぶりに釈放された。