中国の新疆ウイグル自治区における統治は、いわゆる強制収容や強制労働、強制不妊といった問題で世界の注目を集めている。欧米各国では、中国が新疆において「ジェノサイド」を犯したとする声明、決議が次々に出されている。日本の国会では、「ジェノサイド」決議こそ出ていないが、外交行動を見ると、日本は国連人権理事会において常に中国の新疆政策を批判する声明に名を連ねている。

 欧米から批判される中国の新疆統治とはどのようなものなのか。ここでは中国共産党の新疆統治の歩みを振り返り、現状と今後のゆくえを見ることにしたい。

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 中国共産党は1949年に中華人民共和国を建国すると、新疆にも人民解放軍を進駐させ、統治を開始した。1955年にそれまでの新疆省を改め、新疆ウイグル自治区を設置した。自治区としたのは、自らの統治が現地民族の自治であることを宣伝し、現地民族を味方につけようとしたからに他ならない。しかし実際には、漢人率いる中国共産党組織が重要事項を決定する仕組みとなっていた。

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テロとみなされた「抵抗運動」

 これに対し、当然ながら現地の人々は不満であった。しかし間もなく反右派闘争、文化大革命といった政治運動が波及してくると、体制を批判した人は徹底的に弾圧された。文化大革命後、名ばかりの自治をやめて民主化をしてほしい、新疆で核実験をやらないでほしい、産児制限をやめてほしいといった声が上がるようになったが、再び弾圧が徹底され、こうした声は封殺される。

 共産党との対話は不可能であると悟った一部の人々は地下に潜り、自殺的な抵抗運動に身を投じた。1990年代には、爆破事件、暗殺事件が多発し、共産党はこれらを十把一絡げに「テロ」とみなすようになった。2009年にはウルムチでウイグル人労働者の待遇改善を求めるデモがきっかけとなり、大規模な騒乱に発展したが、これに対する弾圧も苛烈を極めた。