「逮捕というのはある意味で句読点のマルを打つことなんです。そこで事件が終わってしまう。これ自体はいいことのように見えるかもしれませんが、刑事事件と違って、公安が担当する事案は途切れてしまっては意味がないんです。暗号だって解読できたとしてもそれを元に捜査をしたりすれば、相手は暗号を変更してしまう。だから、気づいていないふりをして、その情報だけを元に動くことはありません。公安警察の仕事が表に出ないのはそういった理由があるんです」

 こう語るのは某県警に36年在籍し、警察本部の外事課で朝鮮半島を中心とした極東アジアの情報を担当していた本郷矢吹さんだ。警察庁に出向した際には危機管理を担当したこともある。そんな本郷さんは、昨年7月に起きた安倍晋三元総理銃撃事件をモチーフにした『小説・日本の長い一日』(ART NEXT 刊)を上梓した。

 本書は「非現実の中に現実を織り込んだ」と謳っているが、随所に公安警察のリアルが散りばめられているという。ドラマや書籍でしか知ることのないスパイの世界とはどのようなものなのか。諜報活動の最前線にどっぷりと浸かったことのある本郷さんだからこそ知る「情報」の現場を語ってもらった。

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本郷さんのデビュー作『小説・日本の長い一日』 ©️文藝春秋 撮影/山元茂樹

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協力者との待ち合わせのときに、他の情報担当者と鉢合わせてヒヤヒヤ

――本書では、極めて機微に触れるやり取りを行う際、水に浸けると溶けてなくなる紙「水溶紙」を使って筆談する場面があります。実際の現場でも「水溶紙」を用いることはあるのでしょうか?

本郷矢吹(以下、本郷) 実は警察では使っていません。水溶紙を使用しているのは極左集団ですね。ただ、警察でも極秘情報を扱う際には、別の方法を用いています。さすがにこれを明かすことはできないのですが…。警察だけでなく、各省庁でも独自の方法を採用しています。

本郷さん ©文藝春秋 撮影/山元茂樹

――情報交換で人と会う際には、事前に店を予約せず、その場で決めるという描写もあります。

本郷 これは本当の話です。予約した店がバレて盗聴される危険性を排除するためです。ただ、世の中には数えきれないほどの店がありますが、情報交換を安全にできる店は限られています。そのため、ある協力者と会っていたときに、他の情報担当者と鉢合わせして肝を冷やしたなんてこともありました。