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鳶職人に転職したものの、足場から落ちて大怪我

――その後は、白金にある芸能人御用達レストランの姉妹店の店長を経験されています。

坂本 白金にあるお店にはよく遊びに行っていたし、そこの会長にとてもお世話になっていました。鎌倉にも店舗があったので、そこの店長を任されたんです。鎌倉はいいところでしたよ。あの時が一番楽しかったなぁ。ただ、季節的にしか売り上げが立たないから、夏は忙しいけど、冬はどこのお店も閑古鳥が鳴いていましたね。

 店長やったあとの仕事は、陸送のバイトだったかな。陸送っていうのは、仮ナンバーをつけて骨組みだけで箱がないトラックを夜中から朝にかけて納車する仕事です。ところが、あるとき歩道でライトバンに轢かれて、左足を骨折しちゃった。その影響でクラッチが踏めなくなったから、陸送は辞めざるを得ませんでした。

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 1年くらいは労災とかで食い繋いでいたんですけど、「やっぱり手に職をつけたほうがいいかな」と思ったんです。国家資格の「足場の組立て等作業主任者」を取得して、鳶職人になりました。でも今度は、雨の日に足場から落ちて左顎を大怪我してしまって…。その時は大丈夫かなと思っていたら、次の日、顎が痛くてモノが噛めない。仕事終わって、一応病院に行ったら、即手術ですって言われました。治療には1年かかりましたね。

首の傷の跡を見せる坂本一生 ©文藝春秋 撮影/釜谷洋史

 その後は、ラーメン屋、フィットネスインストラクター、あとは200~300キロする業務用コピー機の運搬なんかもやりました。

探偵業は全く向いていなかった

―― 一方で、坂本さんが、ホストや探偵業、便利屋をやっていたことは有名ですね。

坂本 ホストをやっていたのは40歳手前の2年間くらい。客寄せパンダみたいなもんです。週1回行くだけで月いくら保障するみたいな契約でした。当時2回目の結婚をしていてお金が必要だったので、他のバイトと掛け持ちでやっていました。

若かりし頃の坂本一生

 そのあと2010年から探偵業ですね。でも、僕には全く向いていなかった。まず顔がバレているし、体がデカいから電柱とかに隠れられないんです(笑)。車での尾行は得意だったけど、歩行では目立つばかりでした。だから1年くらいで辞めてしまいました。

◆◆◆

 その後、坂本は便利屋へと職を変えるが、待ち受けていたのは、会社ぐるみの“やらせ”だった――。坂本はここでもまた“広告塔”として利用されてしまったのだ。当時、何が行われていたのか、坂本が振り返る。(後編を読む)

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