お持ち帰りした女性が芸能界の大御所の愛人「殺されるかと思った」
――その後は、売れっ子タレントの仲間入りを果たしました。
坂本 同業者のやっかみとか、加勢さんのファンからの嫌がらせもありました。事務所の入り口に人糞のようなものが置かれていたり、雑誌の撮影中に女性からジュースの缶を投げつけられたり……。
仕事も大変でしたね。真冬の屋外でのイベントでも黒のタンクトップ一枚で出演です。しかも、給料はまともに支払われず、いいように使われていたんです。97年には、騙されて「週刊女性」のグラビアページでヌード写真が掲載されました。水着撮影だって聞かされていたんですけどね。
――仕事ではご苦労もあったようですが、プライベートではモテモテだったとか。経験人数は4桁と言われていますが?
坂本 昔でいえば「シティハンター」の冴羽遼みたいな感じと言えばいいんですかね。目に入った女性、辺り構わず全部、名前と電話番号を聞いていました。毎日違う女性というわけじゃないけど、持ち帰りみたいなことをよくやっていましたね。
――お持ち帰りした女性が芸能界の大御所の愛人だったエピソードも明かされています。
坂本 僕がたまたま女の子とホテルにいるときに電話がかかってきて、誰?って聞いたら、○○さんって。えっ? マジでヤバイ!って。殺されるかと思いましたね。
芸能人になってからは、色んな人が寄ってくるけど、その代わり色んな病気ももらっています。そのたびに泌尿器科行くんだけど、「ゴムつけなさい。またか!」「その日に会って、その日に抱ける女はやめなさい。猿だね」って何回も先生に言われていました(笑)。
――仕事に話を戻すと、99年に「FRIDAY」で中古車屋でのアルバイトが報じられました。
坂本 当時もギャラはあまり払ってもらえず、芸能人の面倒をみるのが好きな車屋の若い社長がいたので、雇ってもらったんです。僕も車や運転するのが好きだからちょうどよかった。
車屋でのバイトと前後して、初代タイガーマスクの佐山聡さんが、北海道の旭川で新しく立ち上げようとしていた格闘技団体に参加することが決まっていました。だけど、一緒にやろうとしていたテレビ制作会社の人と佐山さんの折り合いがつかなくて、宙ぶらりんになっちゃった。僕は一応北海道まで行ったけど、3カ月も車上生活を余儀なくされたんです。結局、こっちに帰ってきたはいいものの、以前借りていた家はもうないから、横浜のみなとみらいで1カ月くらい路上生活をしていました。