「新聞にできることは……」

 私は日本医師会をめぐる記事を読みながら、杉谷が1年半前に会食の場で言ったことを思い出した。彼は照れながら、酒の力も借りてこんなことを力説したのだ。

「ネットメディアに対抗して、新聞にできることは、スクープ報道と調査報道キャンペーンしかないです。僕はこれまで東京新聞の調査報道班のなかで、政治家、官僚、業界の利権構造を追及してきました。政官業のその利権構造は、政治家や官僚たちによる巧妙な税金横領システムにほかならず、政治家は票とカネを、官僚は天下りを、業界は利益を手にしています。これからも愚直にその構造を報じていこうと思います」

 ――その結果がこれなのか。

ADVERTISEMENT

 一人の記者に戻った後、杉谷はさんざん部下にも語ったその言葉を実践してみせようとしていたのだろう。初報には自民党副総裁・麻生太郎の短い談話も付いている。

麻生太郎氏 ©文藝春秋

 献金について「全く知らん。俺は派閥の金を受け取ったことも触ったことも全くないから」「財務大臣も辞めていたし、(診療報酬改定とも)全く関係ない。それで金が動くなんていうことはあり得ない」というものだが、杉谷は約1か月間、国会や自民党本部に通い、7回目にして国会のトイレのあたりで麻生をつかまえ、直に話を聞いた。それを知って署名記事を読むと、行間から立ち上る古参記者の意地のようなものを感じる。

 いまの杉谷の居場所は、社会部のある8階から1階下りたところにある、15畳ほどの雑然たる「編集作業室」の一角だ。ふだんは昼前にこの部屋に現れ、終電近くまで作業をしているのだが、今回は取材の詰めと原稿執筆のために、3日間、部屋のソファに寝泊りしたという。

 その杉谷も定年が近い。彼の先輩によると、定年の後は(問題がなければだが)1年ごとに契約を更新する特別嘱託記者になるらしい。署名記事の件で電話を入れたついでに杉谷本人に尋ねてみた。すると、彼は携帯電話をつないだまま、周りの人に向かって、

「おーい、僕の定年はいつだっけ?」

 と聞き始めた。

「僕は5月20日で60歳になるんだ。となると、いつが定年なんだろう」

「それはですねえ、うちでは……」

 電話の向こうで、のんびりしたやり取りをしている。しばし間があって、結局、「6月末だそうです」という答えが返って来た。

 本当に彼が定年の日を忘れていたのか、それともとぼけていたのか、それは知らない。だが、還暦を控えてそんなやり取りができる現役記者の彼を羨ましいと思った。

 私は読売巨人軍で発覚した不祥事(スカウト裏金問題)のために巨人球団代表に担ぎ出され、そこでバタバタと定年延長を迎えている。現場で書き続ける「生涯一記者」は私の念願だったが、ついに果たせなかった。

 杉谷は多くの勲章をぶら下げているわけではない。最近では、社会部長時代に調査報道キャンペーン「税を追う」で、仲間たちと日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞を受賞し、その成果の一部を『兵器を買わされる日本』(文春新書)にまとめたぐらいだが、他の記者と違うところが1つある。27年も前に、「税と利権」という取材テーマをつかみ、一貫して追い続けていることだ。

 それは記者9年目、1996年に社会部の行財政改革取材班に加わったことがきっかけだった。デスク以下5人のチームで、橋本龍太郎政権が進めた行革を1年近く追った。その過程で公共事業改革や農政改革、郵政民営化など重要改革が次々と潰れていくのを目の当たりにして、彼はこう考える。

「世の中には事件にもならず、合法的に存在する巧妙な利権がある。税金の流れる先に改革を阻む利権があり、それをメディアが明らかにしなければ、いつまでも世に出ることがない」

 それから3年後、「改革を阻むもの」というテーマで調査報道企画を立案し、「破たん国家の内幕」取材班を編成した。この連載第一部のサブタイトルが「医師会の政治力」だ。

 その後の追跡作業は省くが、要するに、日本医師会の多額献金を取り上げた今回の記事も彼の道程の途中にあり、ぶれずに調査報道を続けてきたという自負が、定年の日を忘れさせ、胸を張らせるのだろう。

ノンフィクション作家・清武英利氏による「記者は天国に行けない 第16回『朝駆けをやめたあとで』」全文は、「文藝春秋」2023年5月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

この記事の全文は「文藝春秋 電子版」で購読できます
朝駆けをやめたあとで