この遺言状はホンモノなのだろうか
社長の古い知人から事情を訊いた。
「M氏によると、今から5年前の2013年(平成25年)に、ドン・ファンがこの遺言書を突然郵送してきたというのです。すぐにM氏が真意を確認したら、ドン・ファンは『まだまだ死ぬつもりはないが、万が一のときには自分の財産を郷里の発展に役立ててもらいたい』と語ったそうです」
私の知る限り、およそドン・ファンが言いそうにないセリフだ。それは置いておくとしても、なぜ死後2ヵ月以上経ってからこの遺言が出てきたのか。知人が続ける。
「M氏はとりあえず遺言書を保管していたが、そのうちその存在をすっかり忘れていたそうです。ドン・ファンが急死して、葬儀も終わってしばらくたった6月10日頃、M氏は急に遺言のことを思い出し、弁護士に相談した。そして8月3日、その弁護士がM氏の代理人として、遺言書を田辺の家庭裁判所に提出したのです」
今後、遺言が本物なのかどうか、家庭裁判所で「検認」手続きが行われる。ただ、そこで本物だと認められても、全額が遺言どおり田辺市に寄付されることにはならない。妻のさっちゃんが「遺留分」を請求すれば、法定相続分の半分を相続することができるからだ。
ドン・ファンの遺産が30億円とすると、もしこの遺言が本物であるなら、さっちゃんの相続分は半分の15億円になる。兄弟姉妹には遺留分が認められていないため、4分の3の半分ではなく、全体の半分になるのだ。現状の相続分である22.5億円に比べると、7億円以上減額されることになる。そして前述したように、兄弟姉妹の取り分はゼロになる。
はたして、さっちゃんと兄弟姉妹は、それを素直に受け入れるのか。
そもそも、M氏の言っていることをすべて信じていいのか。
筆跡は確かにドン・ファンのものに似ているが、このまますんなりとはいかないと私は思っている。
遺言状にある最も不自然な点とは――?
まず、遺言書の出方があまりにも不自然だ。
M氏は通夜、葬儀の間も「親父(M氏は社長のことを、社長不在のときだけ親しさを誇示するようにそう呼んでいた)は遺言を残すようなタマじゃないよ」と何度も言っていたし、M氏以外の誰一人として社長が遺言を書いていたことを知る者はいない。
また、文字の筆跡は似ているが、文章全体から受ける印象が、ドン・ファンが書いたものとは異なる。
社長が書く文章は一つ一つの字がバラバラで、さらに下に行くにつれ字が左に流れていくのが特徴だ。だがこの「いごん」は整然とまっすぐ字が並んでいる。
そもそも社長を知る者で、社長が遺言を残すタイプだと言い切る者は皆無だろう。自分が死ぬことなど露ほども考えないのが、ドン・ファンの性格なのだ。しかもこの遺言書は、いちばん大事だったイブについてまったく言及していない。
さらに、「いごん」というのは法律用語であり、一般人には馴染みがない。このように、納得できない部分が多すぎるのだ。
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